私は日本に発つ日、Gと共にPという街まで行きました。Gはとても落ち着いて見えたので、教会にも長く通っているかと思いましたが、Gも数ヶ月前に初めて話しを聞いたばかりで、私とたいして変わらないと言っていました。
真夜中に船に乗り込みました。荷物と一緒に行くのかと思っていましたが、船員が使う部屋を貸してもらえました。船室の小さな窓からは空が見えましたが、雲がかかっていた為か月も星も見えませんでした。それ以上に海は漆黒の闇のようで、不安を抱えながら夜を明かした事を、今でもはっきり憶えています。
やがて船はKという港に着き、私とGはOという街に行く事にしました。
Oには、在日韓国人が多く住む場所があったからです。Gは語学が堪能で日本語も日常会話くらいは出来たのでした。私達は小さなアパートを借り日本での生活が始まりました。
最初の頃は、仕送りもきちんと届き私達は一日中本を読んだり、勉強しながら過ごしました。
Gは器用な人で、料理や家事なども率先してやってくれ、父や兄しか知らなかった私にはとても新鮮に感じたものです。
私が臨月になる頃、教会からの仕送りが途絶えました。連絡もままならない状況でしたので、Gは働くようになりました。Gはよく将来は法律家になりたいと夢を語ってくれましたが、Gの日に焼けた手や疲れ具合から、Gが異国の地で肉体労働をしていると知り、とても切なく申し訳ない思いで一杯でした。それでもGは私に文句一つ言う事はありませんでした。
やがて、私に陣痛が始まりましたが、密入国者でありましたので病院に行く事も出来ず、アパートでGが介助しながら私は男の子を産んだのでありました。
私が息子を産んで一月が経った頃でしょうか、Gは新しい仕事を見つけてきました。嬉しい事に給料も前払いして頂けて、Gは新しいスーツにネクタイを締めて出勤し始め、私は朝ごはんとGのお弁当を作って送り出し、日中は子どもの世話や洋服やおむつを縫ったりしながら過ごし、Gが買ってきた食材で夕食を作るというような生活をしていました。
その頃、私とGは自然に結ばれたのでした。
私は息子にGの名前から一文字貰ってヒチョルと名付けました。
私達は、本当に家族になりGが休みの日には、お弁当を持って近くの河原に遊びに行きました。Gはヒチョルの事もとても可愛がってくださり、私は本当に幸せな日々を過ごしておりました。
しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。
真夜中に船に乗り込みました。荷物と一緒に行くのかと思っていましたが、船員が使う部屋を貸してもらえました。船室の小さな窓からは空が見えましたが、雲がかかっていた為か月も星も見えませんでした。それ以上に海は漆黒の闇のようで、不安を抱えながら夜を明かした事を、今でもはっきり憶えています。
やがて船はKという港に着き、私とGはOという街に行く事にしました。
Oには、在日韓国人が多く住む場所があったからです。Gは語学が堪能で日本語も日常会話くらいは出来たのでした。私達は小さなアパートを借り日本での生活が始まりました。
最初の頃は、仕送りもきちんと届き私達は一日中本を読んだり、勉強しながら過ごしました。
Gは器用な人で、料理や家事なども率先してやってくれ、父や兄しか知らなかった私にはとても新鮮に感じたものです。
私が臨月になる頃、教会からの仕送りが途絶えました。連絡もままならない状況でしたので、Gは働くようになりました。Gはよく将来は法律家になりたいと夢を語ってくれましたが、Gの日に焼けた手や疲れ具合から、Gが異国の地で肉体労働をしていると知り、とても切なく申し訳ない思いで一杯でした。それでもGは私に文句一つ言う事はありませんでした。
やがて、私に陣痛が始まりましたが、密入国者でありましたので病院に行く事も出来ず、アパートでGが介助しながら私は男の子を産んだのでありました。
私が息子を産んで一月が経った頃でしょうか、Gは新しい仕事を見つけてきました。嬉しい事に給料も前払いして頂けて、Gは新しいスーツにネクタイを締めて出勤し始め、私は朝ごはんとGのお弁当を作って送り出し、日中は子どもの世話や洋服やおむつを縫ったりしながら過ごし、Gが買ってきた食材で夕食を作るというような生活をしていました。
その頃、私とGは自然に結ばれたのでした。
私は息子にGの名前から一文字貰ってヒチョルと名付けました。
私達は、本当に家族になりGが休みの日には、お弁当を持って近くの河原に遊びに行きました。Gはヒチョルの事もとても可愛がってくださり、私は本当に幸せな日々を過ごしておりました。
しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。