最近、川村寿法さんの浄土真宗のお寺やホームレス支援で有名な奥田知志さんのキリスト教会に伺う機会があります。
お寺で最初に伺ったのは、人間は状況によってどんな悪いことでもしてしまう煩悩にまみれた「凡夫」であるということです。
同じように、牧師である奥田さんは「赦された罪人として生きる」というコラムの中で『人間である限り、神仏ではないことは当然です。私の活動は、神仏の助けを借りねばならない不完全な行為に過ぎません。人の支援には、こうした「できない私を認識する」ことが何よりも大切です。不完全な罪人である私が、にも拘わらず赦され、他者と出会い、他者と共に生きようとしている…」と書かれています。
http://www.cocolotus.com/item/2304
さて、私が担当するHさんは人が大好きで、毎週金曜日にはスタッフにお菓子やカップラーメン、スタッフの健康を気遣って栄養ドリンクまで!?自分のおこづかいで買って来てくれます。ただ、色んな人にあげたい気持ちが強すぎるあまり!?自分のおこづかいで買える限度を超えてたくさんの人に「…買って来てやるよ!」と言い回って、結局全員には買って来れない事態になってしまいますf^_^;
私が担当して最初の頃はこれをなんとかしたいと思ってHさんに厳しく接することもありました。そんな時、はたと気づいたのです…自分だって仕事帰りに遊びに行ったり、ラーメンを食べに行ったりした時、嫁に「今日は残業やった。」とウソをついているじゃないか!と(~O~)
支援で一生懸命「こうしたい!」と思っていてもうまくいかない時、支援者は「自分は1ミリだって悪くない!100%アイツのせいだ」と0対100の関係を作ってしまうことがないでしょうか!?
それがエスカレートして虐待等の問題に繋がる気がしてなりません。
支援する側と受ける側という特に上下関係のできやすい関係において支援者は、自分も「不完全な人間」であること、そして相手にもたとえ0.1%でも正当性があるのではないかということを考えることが必要ではないかと思います。
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