
~伏尾台小学校閉校記念式 その①~

~伏尾台小学校閉校記念式 その②~

~仲人会の一コマ!~
おはようございます。2月23日(月)池田の朝は曇り空のスタートです。
「笑顔で暮れる夕日のまちよ 明日の幸せ背に受けて きらめく空にはずむ声 大人も子供も みんなでつくろう 文化池田の夢いくつ ああ伏尾台に虹が立つ ああ伏尾台は夢のまち」
昭和55年4月、開発途上のまち、ニュータウン伏尾台に伏尾台小学校が開校しました、1年生から6年生までの同時開校で、私の長男晃はピカピカの1年生、確かその時の1年生は17人だったと記憶しています。でもそれから開発は続き児童数はどんどん増えて、人口も増えていく、拡がるニュータウン伏尾台でした。
初代の校長先生はベテランの阪上登志郎先生でした。この先生の人脈から前述の曲の歌詞をつくってくださった「思い出酒」の作詞者高田直和先生とのつながりができて、「校歌がまだできていないのでその間でも子供たちが歌える歌を」ということで高田直和先生と小坂務先生のコンビでできた歌が「伏尾台小学校よろこびの歌」です。校歌ができたのちも伏尾台小学校賛歌として長く子どもたちに親しまれてきた歌です。子どもたちは歌詞の最後を「ああ伏尾台小学校」として歌っています。
「涙で迎える 昔のニュータウン 明日の不安を抱えて 小学校も廃校に・・・」何かしらそんな思いで土曜日の閉校記念式に出席させていただいてまいりました。池田市で一番最後にできた小学校が一番最初に閉校になるなんて、それが現実なんですね。35年たって6学年6クラス、しかも増える傾向にないとなればやむを得ないことなのでしょう・・・。
開校式に31歳の市議会議員として出席させていただいた私でしたが閉校式にはその廃校を決定した前市長として出席させていただくなんて、何とも感無量でした。
そして、昨日は政治塾に仲人会等々忙しい一日でした。政治塾では「住民投票について」「奇跡の村長野県下條村」等について意見交換させていただきました。この件については明日の「とびある記」でまた書かせていただきます。
今日は3時と4時に来客予定ですが、それまでは少々たまり気味の書類整理、原稿整理をさせて頂こうと思っています。
ということで皆さん、今日も一日、楽しく明るく、元気に頑張りましょう!