おはようございます。11月27日(木)池田の朝は晴天のスタートです。

 イオン傘下となっていたダイエーは、昨日の臨時株主総会で来年1月1日付けでイオンの完全子会社となることを決定したとのこと。スーパーの象徴的存在「ダイエー」の名は18年度にも消えることに・・・・・。

 「主婦の店ダイエー」の1号店は1957年大阪市旭区千林で誕生したそうです。我が池田市にダイエーができたのはそれから1年もたっていないころだったのではないでしょうか。したがって、ダイエー池田店は大阪でも早くにオープンしたお店と聞いています。
 あの「20世紀最大の発明の一つ」チキンラーメンの誕生が1958年8月25日ですから、ほぼ同時期だったように記憶しています。ダイエー池田店の店頭に山のように並べられたチキンラーメンが記憶のどこかに残っています。

 「松下幸之助さんのお葬式にダイエーの中内さんが現れたとき・・・」先日そんなお話を伺いました。私はダイエーの店頭のチキンラーメンは知っていても「ダイエーと松下電器の30年戦争」については知りませんでした。結果「メーカーの小売希望価格は形骸化し、価格決定の主導権は消費者に近づいた」とか。

 話を戻しますと、ダイエーの中内さんのお顔を見た松下社員の皆さんは大変狼狽されたとか、それを当時の松下電器の幹部は「幸之助も喜ぶことでしょう」と前の席に丁重にご案内されたそうです。人生色んなドラマがあるものですね。

 「ダイエーのまち池田」にも色んなドラマがあります。池田駅周辺の再開発は阪急電鉄の連続立体交差化事業に合わせて市施行の駅北開発、民間組合施行の駅南開発と連続して行われました、昭和50年代半ばからおよそ10年近くかかっての大事業でした。
 
 連続立体交差化事業、駅前広場の整備、公共施行の再開発ビルに民間施行の再開発ビル、の事業がはほぼ同時期にスムーズに施工されたということでこの事業は当時の建設大臣から表彰されています。

 ドラマはこのときにおこりました。歴史と伝統文化のまち池田がいつまでもダイエーのまちではいけない。「ダイエーもあるまち」にしよう。当時駅南開発のリーダーであった私の先輩議員さん、それはそれは必死の思いでした。「まずは阪急百貨店、ダメなら在阪の他の百貨店、ダメなら関東からでも・・・」駅南ビルのキーテナントとして百貨店を入れることに奔走されたのです。
 そして彼が阪急百貨店に行って見せられた図面、それは阪急川西能勢口の図面だったそうです。「残念ながら池田は通過駅、川西能勢口はターミナル、今後川西の北部にはどんどん住宅が建ってより賑わいが増すのはこの地です」まあ、「頭をハンマーでどつかれた!」大ショックだったそうです。
 結局他の百貨店もだめでキーテナントにはダイエーが・・・・。以来池田はずっとダイエーのまちに・・・。

 またまた長くなりました、今日のところはこれくらいに・・・。

 今日は事務所に来客2件の予定が入っていますが、一日事務所での仕事になっています。明日は2時40分から千里山のBIGホールで行われる関西大学政策創造学部のシンポジウム「わがまちの『再生』から『成長』へ~学生と考える千里ニュータウンの未来~」にパネリストとして寄せて頂く予定ですので、少し事前勉強をと思っています。

 ということで皆さん、今日も一日、明るく楽しく、元気に頑張りましょう!