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~昭和61年に発刊された小冊子
「夢の街・伏尾台」~
おはようございます。7月23日(水)池田の朝は曇り空のスタートです。
「ふるさと団地再生協議会」目からうろこ、これこれ、これです。
「倉田さんしかできないこと、なんとかしてよ!」ずっと気になっていた言葉です。
私の住んでいるのは2000世帯のニュータウン、開発業者は阪急不動産です。
昭和47年人口71人(17世帯)のまちとしてスタートしました。そして今や2000世帯の夢のまちへと成熟しています。と言っていたのは15年前、10年前まで・・・。
住民が夢のまちと自負したニュータウン伏尾台は「シルバータウン」へと変遷し続けています。
そして来年春には小学校が近隣の小学校と統合されることに。止むを得ません。なにせ1学年1クラスなのですから。「ある通りは向かい合わせで、18世帯すべてが年金生活者。この通りのことを人は年金通りと呼ぶようになった。」よくそんな話で笑いを取ったことがありますが、その年金通りがあちらこちらに登場となると、笑い話では済みません。
「倉田さんしかできないこと」そんな大そうなことではありませんが、神様から頂戴した時間の中で私が手を付けなければならない仕事の一つ。そう思いました。
地方分権から地域分権へとこれからの自治の仕組み在り方を考え、提言していくうえで、この夢のまち「伏尾台のまちづくり」は生きたお手本でした。
先日は池田泉州銀行や阪急不動産の方に、そして昨日は阪急バスさんに思いを聞いていただきました。そして「実は川西でも取り組んでおられますよ。」と情報提供をいただくことができました。当然ながら全国的な問題として私もよく知っている侍首長が、すでに一定の提言を行っていることも知ることができました。
「ふるさと団地再生協議会」なるほどなるほど、納得です。今度は夢のまち伏尾台再生プログラムが全国の同じ悩みを持つかつてのニュータウン再生のモデルとなるように頑張ってみよう。そんな情熱がめらめらと燃え上がった昨日でした。
今日も事務所でその辺の資料整理をさせて頂こうと思っています。
ということで皆さん、今日も一日、楽しく明るく、元気に頑張りましょう!