おはようございます。6月19日(火)台風接近?池田の朝は雨のスタートです。

 私が小学生の頃確か1カ月単位の転校生がいたことをうっすらと記憶しています。友人の中にははっきりと記憶しているものおり、甘酸っぱい初恋の思いでもあるとか?でも何せ小学生ですからね。その1ヵ月単位の転校生とは役者さんの子どもさんでした。もちろん子役で舞台にも上がっているとの事でしたが。
 
 兵庫県との境、猪名川のほとりに昔「呉服座」という芝居小屋がありました。近くにある神社は呉服(くれは)神社と言い、猪名川にかかっている橋を呉服(くれは)橋と言うものですから、昔から呉服(ごふく)座のことを「くれは座」と呼ぶ人が多かったようです。
 昭和40年代の後半に猪名川の河川改修に関連してこの「呉服座」も閉館移転されました。移転先は愛知県犬山市にある明治村です。今やこの呉服座は明治村の核施設の一つになっているとの事です。

 呉服座が無くなってしばらくして、池田市の活性化を求めるいくつかの団体のキャッチフレーズの一つに「カムバック、呉服座!」が使われるようになりました。市民文化会館での落語会を「呉服座寄席」と称しておられるのはその名残です。

 その呉服座が池田市にカムバックしたのは一昨年の秋のことです。昔のような芝居小屋ではありませんが、本町通り商店街の中にあった映画館が閉館され、その後の施設として民間の方から提案されたのが、大衆演劇の劇場を作りたいということでした。それからいろんな人々、特に呉服座の旧の所有者の中田さんのご理解もあって。大衆演劇の劇場に池田呉服座の名を使用してもよいことになりました。席数わずか170席ほどの小屋ではありますが、文字どおり池田呉服座が帰ってきたのです。

 中田さんから一つだけ条件がありました。「名称を【ごふくざ】で統一して欲しい」と言うことでした。その通り呉服座の紋章は5人のおたふくが向かい合っている図柄なのです。5人の福の神が向かい合って、「五福」・・・「ごふく」・・・「呉服」なのです。以後できる限り「ごふく座」呼ばれていますが、いまなお「くれは座」と呼ぶ人もあるようです。「呉服」は中々「くれは」とは読めませんので「くれは座」と言う人は池田市民なのでしょうかね?

 またまた長くなってしまいましたが、昨日もその呉服座に出演させていただきました。少々は待っている感がありますので、今年の出演はこれくらいにとどめようと思っています。昨日は森川座長さんのゲスト出演の日とあって舞台上もなかなかにぎやかでした。次郎長に忠治それに黒駒の勝蔵のオンパレードですからなかなか見栄えがしたのではないでしょうか。

 「私ら役者も教育者の一環、一人だと思っている。」森川座長さんの言葉です。少々ご年配の森川座長さんのお父さんが良く言っておられた言葉だそうです。そしてその息子の森川座長さんもその思いでお弟子さんと接しておられるとか。そう言えば、南条座長さんの姿勢もその通りです。一日芝居小屋にいると楽屋での話が本当に楽しく、勉強になります。
 「来年は、大岡越前」となりますかどうかお楽しみに!

 ということで、今日は楽しくて罪のない話題でした。

 それではみなさん、今日も一日。明るく楽しく、元気に頑張りましょう!