おはようございます。5月25日(金)池田の朝は小雨模様のスタートです。

 昨日は朝から予定外のお客様がたくさん来所されて、通常の業務と合わせて忙しい一日となりました。来所の趣は、楽しいことばかりです。

 今日は大阪国際空港の問題について、前回のコメントに加えて、もう少し述べさせていただきます。都市部の空港の抱える問題として騒音と安全性の問題があります。大阪国際空港(伊丹空港)では特に騒音の問題がクローズアップされました。
 
 昭和40年代、今から40年以上も前のことになります。1970年(昭和45年)世界の国からこんにちわ、の大阪万博で1千万人とも言われる世界中のお客様をお迎えした空の玄関口が大阪国際空港だったのですから周辺住民の皆さんの騒音被害が限界を超えていたものと推察できます。

 住民の皆さんから訴訟が提起され、裁判所も受忍限度を超える騒音との認定のもと、夜間の飛行差し止めを含めて機能を縮小すべしとの判断を示されました。
 それを受けて政府としても、大阪国際空港の廃止を前提として関西地方に新しい空港を建設するべく準備に取り掛かられました。

 世界に開かれた港神戸に空の港も備える。まずは神戸沖に新空港をという案が浮上したようです。しかし残念ながら空港建設に対して神戸市民の下した結論は「NO」でした。やむをえません、淡路島ではどうか、いや琵琶湖の真ん中に、等々いろんな検討がなされたとか。結局、騒音公害の少ない海上空港として泉州沖が最適とされて、工事が進められて、平成6年9月にアジアのハブ空港をめざした関西空港がオープンいたしました。

 泉州沖に新空港の建設が決定し工事に着手されていた平成2年、政府は関西空港が完成したとしても関西圏の航空需要を満たすことは困難として、「関西空港の開港後も大阪国際空港を国内線の基幹空港として使用したいので容認して欲しい」と大阪国際空港周辺自治体及び住民に求めたのです。
 
 飛行機の機材がどんどんと低騒音型になって来ること、空港が無くなった後の経済効果など各種検討を重ねた結果、周辺自治体と住民団体はそれぞれ別個に大阪国際空港の存続を認める協定書にサインされたのです。平成2年12月のことです。これが世に言う存続協定です。政府の要請を受けて周辺自治体と周辺住民が存続を認めたという協定書です。

 私は当時池田市議会議長としてこの協定書を認める大阪国際空港周辺11市で構成する騒音対策協議会に出席をしていました。しつこいようですが、政府の要請を受けて(ここが肝心です)11市協が容認したもです。政府と周辺自治体、政府と周辺住民との約束です。

 今あるものがいつまでもあり続けることは無い。私はそう思います。空港も当然そうです。政府が大阪国際空港の廃港も視野に入れると基本計画に書くというのなら、まずは平成12年12月の約束について状況の変化により見直ししたいという協議から始めるべきだと思っています。マニフェストの見直し何ていう次元のものではありません。

 関西空港と大阪国際空港が統合されて民間事業者によって運営される。その民間事業者の判断によっては大阪国際空港の廃港もありうる。私の認識では、そのことについて11市協が容認しているのに、今更政府が大阪国際空港の将来的廃止を言及しなければならない事情、理由が見えてきません。民間に運営を任せる前に敢えて政府の方針として将来的廃港を盛り込む必要は無いと思うからです。

 泉州の人達から見ると「茶番」かもしれません。「出て行け、出て行け」と言っていたその当事者、本人が今では「廃港反対」と言っているのですから。でも前述のような歴史的経過の、事実認識、そして今ではその関西空港と大阪国際空港を統合して運営すべく準備が進められているという事実認識、は必要なことと思っています。

 今や大型機は飛んでいない大阪国際空港、YS11が無くなりプロペラ機は、ボンパルディアが主力、低騒音小型ジェットの方がずっと安全で音も低いのに。プロぺラ機を小型ジェット機に変えたところで関空の営業に大きな影響を及ぼすことは無いのに。
 関西空港がアジアのハブ空港になるのはそう簡単なことではありません、政府の航空政策面での後押しと民間の知恵と力で再生しようという時に何をしてるんだ、私としては、そう思えてなりません。

 ということで今日はこれくらいに・・・・・。

 今日は2時半の市内某所での事務打ち合わせ以外は、この日曜日の日本子育て応援団のシンポジウムむけての準備、31日の兵庫県保育協会での講演に向けた原稿整理などさせていただこうと思っています。

 夜は我が後援会の学生班の隊長の就職内定のお祝い会にお招きをいただいていますので出席させていただくことになっています。

 それでは皆さん、今日も1日、明るく楽しく、元気に頑張りましょう!