ご無沙汰です。bunです

色々と書かないといけないことがたくさんあるのですが

今日は標題のとおり

「自分」という勘違いについて

最近思ったことを書きます。(殴り書きます。)

 

ここセラ(についてはこのブログに来てくださる方には説明不要かもしれませんが一応:(一社)日本おうち整体協会の「こころセラピスト講座」です)

で、何度となく

「自分というものは無い」ということを教わり、

 

頭でっかちな私は

「話はわかった」とばかりに

説明された理屈はわかるのですが

まあ本当のところはわからないですよね、、、

 

教わった理屈はうろ覚えでなんとなく説明できるのですが

「・・・と、ブッダという人が昔考えたらしい。」

という語尾つきになってしまう。

 

ということで、

「自分」なるものが理解できなくても実生活はどんどん進んでいくので

今年のここセラのメインタームも終わったところで

半分放置していました。

 

そんな最近、

退院後(秋に再入院していました)

初の、風邪をひいてしまって。

 

なんかいやな気持ちだったんです

私もこんな病気を繰り返しているうちに

どこかで命が終わるんだろうな なんて

夜更けに考えていました。

 

そこで、「そういえば自分ってなんだろ?」と

再び問いを巡らせてみました。

 

この問いはここセラの中でも出てくるのですが

私の答えとしては

「皮膚より内側は自分。なぜなら自分が感覚を感じる、自分である程度動かすことができるから」

というものでした。

 

今でもこれが間違っているとは思いませんが、

この夜、ふと思ったのです

 

いやいや動かせるといっても

指を動かしたらその先の空気も動くし

逆に自分の皮膚の内側には自分で動かせない臓器もある

 

感覚といっても

痛覚のない臓器も多分あるし(知らないけど)

そもそも痛みに気づかないこともある

 

そうやって考えていると

やっぱり、自分とそうでないものとの境界が

あいまいなものとしか思えず、

 

最終的に

「あ、『自分』って勘違いだったわ。」

という結論にいたりました。

 

これまで1万日以上(ざっくり30歳くらいで1万日だそうです)

自分だ自分だといって生きてきて

それが"常識"になっていれば

勘違いしてもおかしなことでもなんでもないと思います

そして、勘違いだと気づいたとしても

まだ私は、その勘違い(錯覚)の中に生きていることも

実感しています。

 

これからしばらく、この錯覚を消し去る日々です。

 

座学でも散々教わっている話ではあるのですが

実感を伴わないとやっぱり、わかりませんね

 

以上です

特に読み返したりしていないので

読んでおかしなところもあると思いますが

勢いで投稿します

殴り書きの、自分用メモですので

 

心を探究する皆様とは

またどこかでお目にかかりましょう、