またまたお久しぶりの更新です。
元気にやっておりますので、ご安心を。
本棚でずいぶんと眠っていた、こんな本を取り出して電車のなかで読みました。
パトリス ジュリアン, Patrice Julien
いんげん豆がおしえてくれたこと
読んでいて、「そうそう、こういうことだったんだ」と思わず頷いてしまった一文がありました。
今年の2月に北欧はスウェーデンを旅した時に、強く感じたこと。
それが何だったのだろう、何だったのだろう・・・と長いこと考えていましたが、
「そうそう、こういうことだったんだ」 とスッキリです。
その一文を以下に引用してみます。
『日本と僕がそれまでに訪れた国との違いは、空間というものが日本以外の国では今もまだ人々が生きる為のものと見なされているのに対し、日本では次第に収益性という観点からとらえられている点だと理解した。
一坪の土地ごとに一時間当たりの値段がつけられているような国で、いったいどうすればもてなしなどという発想が生まれるだろう。
これだけのスペースを一台分の駐車場にすればいくらの収益があがり、レストランにしてテーブル一つと椅子を二脚置けばいくらになり、コンビニエンスストアにしたらいくらの儲けになるだろう・・・。
一ヵ月後、一年後の収益はどれだけとか、あるいはもっと早く決算をしてレストランをパーキングやコンビニに様変わりさせたり、その逆にしたり・・・この国にはそんな考えがいっぱいだ。』
スウェーデンを歩きながら、日本を思い、考えたことはこういうことだったのかもしれないと思わせてくれる文章でした。
人が生きるために空間がある。
人が心地良く寛ぐためにインテリアがある。
人が楽しく集まるためにお店がある。
人がリフレッシュするために緑があり、公園がある。
人が祈るために教会がある。
そういうシンプルな論理を街全体から感じたのかもしれないです。
人が人間らしく生きていくという大切な目的が、日本で普通に生活していると、薄れていってしまうことがあります。
成功だ、収益だ、自分らしさだ、セレブだ・・・といった具合に。
時に流されてしまうことはしょうがないけれど、やはり自分の軸というものがぶれないように足元をしっかり見つめていかないと、という気持ちを新たにしました。
元気にやっておりますので、ご安心を。
本棚でずいぶんと眠っていた、こんな本を取り出して電車のなかで読みました。
パトリス ジュリアン, Patrice Julien
いんげん豆がおしえてくれたこと
読んでいて、「そうそう、こういうことだったんだ」と思わず頷いてしまった一文がありました。
今年の2月に北欧はスウェーデンを旅した時に、強く感じたこと。
それが何だったのだろう、何だったのだろう・・・と長いこと考えていましたが、
「そうそう、こういうことだったんだ」 とスッキリです。
その一文を以下に引用してみます。
『日本と僕がそれまでに訪れた国との違いは、空間というものが日本以外の国では今もまだ人々が生きる為のものと見なされているのに対し、日本では次第に収益性という観点からとらえられている点だと理解した。
一坪の土地ごとに一時間当たりの値段がつけられているような国で、いったいどうすればもてなしなどという発想が生まれるだろう。
これだけのスペースを一台分の駐車場にすればいくらの収益があがり、レストランにしてテーブル一つと椅子を二脚置けばいくらになり、コンビニエンスストアにしたらいくらの儲けになるだろう・・・。
一ヵ月後、一年後の収益はどれだけとか、あるいはもっと早く決算をしてレストランをパーキングやコンビニに様変わりさせたり、その逆にしたり・・・この国にはそんな考えがいっぱいだ。』
スウェーデンを歩きながら、日本を思い、考えたことはこういうことだったのかもしれないと思わせてくれる文章でした。
人が生きるために空間がある。
人が心地良く寛ぐためにインテリアがある。
人が楽しく集まるためにお店がある。
人がリフレッシュするために緑があり、公園がある。
人が祈るために教会がある。
そういうシンプルな論理を街全体から感じたのかもしれないです。
人が人間らしく生きていくという大切な目的が、日本で普通に生活していると、薄れていってしまうことがあります。
成功だ、収益だ、自分らしさだ、セレブだ・・・といった具合に。
時に流されてしまうことはしょうがないけれど、やはり自分の軸というものがぶれないように足元をしっかり見つめていかないと、という気持ちを新たにしました。