半田市亀崎に、復活した敷島
かつては半田市を代表する日本酒の酒蔵だったそう
江戸時代から綿々と続いていた酒造でしたが、ついに時代の波を渡りきれず、先代が蔵を締め、酒造免許を返納されました
が!
三十代のご当主が、祖父の法要の際に、残っていた敷島のお酒を口にされ
得も言われぬ旨さに、「この酒を残したい!」との熱意から、超大手の通信会社を退職し、よその酒蔵にて修行を積み
3年前!復活の声をあげました👏
昔から続くお店や敷地を活かし、酒造のみならず
角打ちやカフェ、飲食店や、地元のオシャレ食材
また、面白いのが、精米した酒米を利用したアクセサリーなんかも販売されてましたよ
ドリンクもつきます
コーヒー、カフェラテ、和紅茶
和紅茶をお願いしたら、こんな素敵な茶器に!
盃で飲む和紅茶
新鮮でした
カフェの中に素敵なタイルが
これは以前の酒蔵のところで使われていたタイルをそのまま活かしたんだそうです
お店の向かい側は、海
衣浦港になります
江戸時代には、この港から江戸にお酒🍶を送っていたんですね~
知多半島って、高い山がないから、水がないところというイメージを持っていました
江戸時代だから明治時代だかに水飢饉があり
私財をなげうって、愛知用水を作った人のお話を子供の頃に学んだ覚えがあるから
だから、常滑にある酒造とか、半田は昭和初期まで二百近くの酒蔵があったとか聞いても
いつも何故そんなにたくさんの酒蔵が?と思っていました
こちらは、向かい側が海という立地なんですが、地下水が豊富なんだそうです
その地下水を利用して作られているんだそう
そして、広がる田んぼから稲作もある
日本酒のメッカ「灘」から、船で運ばれてきたお酒が和歌山辺の荒波にもまれ、そこで失った荷を補充する
そんな流れもあり、知多半島は酒造が盛んになっていったのだそう
酒を作ると出てくる「酒粕」
これらがたくさんあり、そこから「酢」が産まれていったり、「味醂」の生産に繋がっていったそうです
そして、TOYOTAの始祖、豊田佐吉も
またこの半田市の酒蔵の主がパトロンとなり、機織りの開発研究に打ち込めたそうです
今はもうかなり風前の灯ですが、綿花の栽培もあり
知多半島界隈は綿織物が盛んだったそう
知多半島、なかなかすごいのね