読書感想「急に具合が悪くなる」 | 緑を泳いで

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北国での暮らしの日々を綴ります。

『急に具合が悪くなる』

宮野真生子・磯野真穂著

 

 

 

友人に勧められ、図書館で借りる。

2023年最後の本。

 

哲学者である宮野真生子さんと、医療人類学者である磯野真穂さんによる往復書簡。

タイトルそのままに、がんを患った宮野さんが「急に具合が悪く」なってしまう割と重たい話であり、生きるために振り絞った言葉であり、言葉にしたから生きられたものなのかもしれないのであり、だけど、「死」に向かうことについて、哲学者の方が言葉を尽くして語る、というのは貴重なもののように思えました。

わたしは、家族にがんにかかったひとが今までいないので(脳や心臓に疾患がある家系なのか)、知らないことばかり。

 

余命宣告の有無があろうが、

みんな等しく「急に具合が悪くなる」かもしれない

なのに、余命宣告をされたために、がん告知されたがために、行動を制限されること、自ら行動を制限してしまうことの不思議を思う。

次々とふりかかる「かもしれない」の中で動きが取れなくなる。

という。

 

ここで初めて知ることになったことのひとつが

標準治療と代替治療

のこと。標準治療は病院でなされる抗がん剤等の治療のこと、代替治療は病院ではなされない、いわば民間の食事療法などがあたると思う。

 

体調が悪くなるにつれ、切実な言葉も増えていったように思います。

病気というのは、私ひとりの身体にふりかかるものでありながら、私一人にとどまってくれません。

制限があっても、不運に見舞われていても、自分の人生を手放していないという意味では私は不幸ではありません。

私たちはいつかどこかのタイミングで、必ずモノという点になります。その時がいつかやってくるのがわかっているのなら、適切に連結されるだけの点としては生きていたくない。自分にラインを描く力が残っている限り、世界を知覚し、それと親密に関わりながらラインを描き、その中で出会うラインと新しいラインを紡ぐことのできる存在でありたい。

たしかに、私たちは自分のラインを引きたい。自分の存在を守り、残したい。もし、そう思うなら、いまラインが引かれている場へと降り立たねばならない。それは、一人に閉じた時間ではなく、多くの点たちがラインを引こうと苦闘している、その時間の厚みのなかに成立する世界のはずです。

一人の打算ではなく、多くの点たちが降り立つ世界を想像し、遠い未来を思いやること、そのとき、私たちは初めてこの世界に参加し、ラインを引き、生きいくことができるのではないでしょうか。

「ラインを引く」という表現が後半多様されるようになります。この、「ラインを引く」ということを正確に私は読みながらキャッチできなかったのですが、「行動を起こす」ということと近い言葉だと思い、少しでも何かもがき、もがいているひとと交流しあい、自分がなくなったあともその「ライン」をなぞったり、次に繋ぐ新たなラインを描いてくれるひとのことを思うと、生きている今、わたしもがんばらねばと思うのです。

選択とは偶然を許容する行為であるし、選択において決断されるのは、当該の事柄ではなく、不確定性/偶然性を含んだ事柄に対応する自己の生き方であるということ。

「開示された状況の偶然性に直面して情熱的に自己を交付する無力な超力が運命の場所」

宮野が研究対象としてきた九鬼周造の話が随所に出てきます。中でも「偶然」について。

選択の続く人生の中で、半ば無意識的に選んだ、偶然に選んだ出来事が、己の運命になっていく、ということなのかなと思って、宮野さんと磯野さんが出会えたことにもまた、胸が熱くなるのでした。