聞き役型の憂い | kurariroのメモ帳

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忘れたくないことを保存してます。

でも時に気まぐれです。

多分(たぶん)、子(こ)どもの頃(ころ)のおれに似(に)てるのかなって。


周(まわ)りからちょっかいをかけられたりして
「なんだよー!」
みたいに返(かえ)したりして
でも
それ自体(じたい)が楽(たの)しいコミュニケーションだったり
(こういうことの繰(く)り返(かえ)しで「やり過(す)ぎはどこからなのか」とかを学(まな)んでいくのだけれど)


でも
「なんだよー!」
って返(かえ)すことができればいいのだけれど


なんだよー!って言(い)えず
落(お)ち込(こ)んだりしてしまったりして


そういうところに
周(まわ)りが気(き)づいてくれればいいのだけれど


周(まわ)りが気(き)づいてくれなくて


それで
もしかしたら
周(まわ)りのコミュニケーションに馴染(なじ)めず
時(とき)にはよごれているものに
見(み)えるのかもしれない。

それで
自分(じぶん)の馴染(なじ)めないコミュニケーションをする人(ひと)たちが作(つく)っている社会(しゃかい)が
汚(きたな)く見(み)える事(こと)があるのかもしれない。


馴染(なじ)めず
自分(じぶん)の殻(から)に閉(と)じこもるのかもしれない。


もし
優(やさ)しい人(ひと)がいて
優(やさ)しく手(て)を引(ひ)いて皆(みんな)の輪(わ)の中(なか)に入(い)れてくれる人(ひと)がいたら
少(すこ)しずつ
殻(から)を破(やぶ)れるかもしれない。


おれは
優(やさ)しく手(て)を引(ひ)いてくれる人(ひと)たちがいて
コミュニケーションに馴染(なじ)んで
汚(きたな)いとも汚(よご)れてるとも思(おも)わない
今(いま)があるから。


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ある掲示板(けいじばん)を見(み)て書(か)いた事(こと)。思(おも)った事(こと)です。
ぼくは、あんな攻撃(こうげき)性(せい)は持(も)っていなかったけれど。


汚(きたな)いところもね。
あるんですよ。
でも
「汚(きたな)い」と思(おも)ってた多(おお)くのものは
そんな汚(きたな)いものでも、無(な)かったりするんですよね。



会話(かいわ)
コミュニケーション
話(はな)しかけられる


すると


何(なに)か返(かえ)さなければいけない。


でも
何(なに)も返(かえ)せない。
または
空気(くうき)が微妙(びみょう)になる返(かえ)しをしてしまう。


すると
益々(ますます)話(はな)せない。
話(はな)しにくい。


会話(かいわ)する自信(じしん)の喪失(そうしつ)。


それが

「話(はな)しかけないで」
「独(ひと)りでいい」(「一人(ひとり)」ではない)
「話(はな)すのが怖(こわ)い」


という気持(きも)ちに変化(へんか)する。




「なにも特別(とくべつ)なことは返(かえ)さなくてもいいんだよ?」

「特別(とくべつ)ではない返(かえ)しって?」


空気(くうき)が微妙(びみょう)になるのに。



ぼくは今(いま)も
おしゃべり上手(じょうず)になりたい聞(き)き役(やく)型(がた)。


彼(かれ)らも
本当(ほんとう)はそんな感(かん)じなのかもしれない。



優(やさ)しく手(て)を引(ひ)いて皆(みんな)の輪(わ)の中(なか)に入(い)れてくれる人(ひと)。

ぼくは、中学(ちゅうがく)一年(いちねん)の頃(ころ)まで、同級生(どうきゅうせい)とも一言(ひとこと)も会話(かいわ)せず
喋(しゃべ)ることはほぼなかった子(こ)でした。(違(ちが)う学年(がくねん)に数人(すうにん)、同級生(どうきゅうせい)に1人(ひとり)(2人(ふたり)?)、例外(れいがい)的(てき)に喋(しゃべ)れる相手(あいて)はいたという感(かん)じです。しかし、他(ほか)の人(ひと)とは、6年間(ねんかん)ずっと同(おな)じ教室(きょうしつ)だったのに1言(ひとこと)もしゃべらなかった相手(あいて)が大(だい)多数(たすう)でした。)

小学校(しょうがっこう)の授業(じゅぎょう)参観(さんかん)の時(とき)、母親(ははおや)が他(ほか)の同級生(どうきゅうせい)の子(こ)に
「なんでkurariro君(くん)は笑(わら)わないの?」
と言(い)われるほど。



転機(てんき)は中学(ちゅうがく)二年(にねん)の頃(ころ)。
周(まわ)りの同級生(どうきゅうせい)が、優(やさ)しく手(て)を引(ひ)くように、皆(みんな)の輪(わ)の中(なか)へと入(い)れてくれたのがきっかけでした。
最初(さいしょ)は喋(しゃべ)らなかったのですが

徐々(じょじょ)に、徐々(じょじょ)に。

中学(ちゅうがく)卒業(そつぎょう)するころには
友達(ともだち)としゃべる楽(たの)しさに目覚(めざ)め
同(どう)学年(がくねん)の男子(だんし)は100人(にん)ぐらいいたのですが
一回(いっかい)もしゃべったことがない人(ひと)は数人(すうにん)ほど。
位(ぐらい)にまで進歩(しんぽ)していました。

高校(こうこう)もそれなりには喋(しゃべ)ってたかなあ。
病気(びょうき)の症状(しょうじょう)の一(ひと)つなのか、高(こう)2の途中(とちゅう)から高校(こうこう)卒業(そつぎょう)までの記憶(きおく)がほぼ無(な)いのですが

それなりに、喋(しゃべ)ってたと思(おも)います。

しかし、学校(がっこう)から一歩(いっぽ)外(そと)へ出(で)ると
初対面(しょたいめん)の人(ひと)には話(はな)すどころか挨拶(あいさつ)すらできない子(こ)でした。

これでは社会人(しゃかいじん)としてやっていけないと
大学(だいがく)はお金(かね)がないという理由(りゆう)で一浪(いちろう)したのですが(父(ちち)は自営業(じえいぎょう)で主(おも)に下請(したう)け業者(ぎょうしゃ)。当時(とうじ)のkurariro(くらりろ)家(け)は、元請(もとう)けから半年間(はんとしかん)以上(いじょう)発注(はっちゅう)ほぼゼロになるなど、大(だい)ピンチの状態(じょうたい)でした。母(はは)からは「お金(かね)がないから大学(だいがく)行(い)くなら県内(けんない)の国公立(こっこうりつ)ね。」と何度(なんど)も言(い)われてたのですが、ぼくが行(い)きたいと思(おも)ったのは県外(けんがい)の私立(しりつ)。それも難関大(なんかんだい)でも何(なん)でもないとこ。母(はは)はヒステリーを起(お)こし高校(こうこう)の先生(せんせい)は絶叫(ぜっきょう)し弟(おとうと)からは呆(あき)れられ父(ちち)からは無言(むごん)(笑)学費(がくひ)が免除(めんじょ)になるその大学(だいがく)の特待生(とくたいせい)を目指(めざ)してました。結局(けっきょく)、二度目(にどめ)の受験(じゅけん)も特待候補生(とくたいこうほせい)止(ど)まりで、「二浪(にろう)は就職(しゅうしょく)に響(ひび)くことがある」という父(ちち)の助言(じょげん)で、奨学金(しょうがくきん)を受(う)けて生活費(せいかつひ)は自分(じぶん)で稼(かせ)ぎながら(母(はは)は「仕送(しおく)りはしませんよ(というかできない)」とのことでした)の大学(だいがく)生活(せいかつ)でした。)

浪人中(ろうにんちゅう)に、あえて自分(じぶん)が一番(いちばん)苦手(にがて)であろうという接客(せっきゃく)のバイトを選(えら)び
学校(がっこう)の外(そと)の喋(しゃべ)れない自分(じぶん)というのも、克服(こくふく)をしたのでした。





こんな感(かん)じのニュース記事(きじ)も色々(いろいろ)。
でも、ある掲示板(けいじばん)の攻撃的(こうげきてき)な中(なか)の人(ひと)は
不登校(ふとうこう)というわけでもない人(ひと)も、結構(けっこう)一杯(いっぱい)いるらしいです。中(なか)の人(ひと)曰(いわ)く。
この掲示板(けいじばん)を頻繁(ひんぱん)に見(み)てたのはもう何年(なんねん)も前(まえ)で、今(いま)あそこがどうなっているのかはちょっと分(わ)からないですけれども。



子どものうつ病は発達障害併発も 不登校の割合は小学校で1割




古いのから順に、ブログ記事を読んでいってみてくださいな。
「お金じゃない幸せを見つけるヒントがある」と言ってくれた人がいました。
素直に、嬉しいです。