読書感想文:『貴乃花 我が相撲道』 | 倉山塾東北支部ブログ

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石垣篤志『貴乃花 我が相撲道』(文藝春秋 2019年)読了。

 

本書は、著者が半年間にわたって貴乃花に密着インタビューした内容に基づく回想録である。

 

本書の感想に入る前に、若干前置きを。

 

私は子供の頃から相撲が好きで、以来ほぼ見続けてきているのだが、やはり横綱・貴乃花という力士は一番好きな力士だ。

 

何が好きか。

 

人生観や生き方・考え方に共感するところがあるというのは大人になってからであるが、小さい頃は、とにかく強かったことに憧れた。

 

勝ち方も、現役時代の決まり手の5割強が寄り切りで、押し出しと上手投げが加わると7割を超える。

 

寄り切りという決まり手は、投げ技などと違い、自分の力だけで相手を土俵の外へ出す技である。

 

最もシンプルなように見えるが、実は一番大変な技である。

 

現役時代の決まり手の半分強が寄り切りということは、貴乃花という力士は、寄り切りという決まり手にとてもこだわりがあったということである。

 

そして、その最も大変な技での勝ち方が一番多いということは、本当に強いということである。

 

また、その寄りの技術も天下一品。

 

膝をうまく使って(自分の膝を相手の膝の外側にぶつける)、相手が残しにくいようにするのである。

 

そうすると、貴乃花の取組を見ていると、相手があっさり土俵を割っているように見えることが多々あるが、それは相手が力を出せない状態にしている(相手が力を出せない状態に追い込まれている)のである。

 

見ている方は、派手な技ではないのでつまらないように見えるかもしれないが、実は相撲の神髄を見ることができる技である。

 

さらに凄いのは、左右どちらの四つでも相撲が同じように取れることである。

 

普通力士は左右どちらかの四つが基本の形になるので、逆の四つは勝手が悪く、苦手なものであるが、貴乃花は両方で相撲が取れる。

 

これは生半なことでできるものではない。

 

まして、大相撲の歴史の中でも屈指の群雄割拠の時代に、優勝22回(うち15回は、最も充実していた1994年~97年の大関時代も含む4年間。年6場所なので、15/24ということで、他を圧倒。この間、優勝次点も6回に及んでいる)というのは、もの凄い成績である。

 

貴乃花が土俵で戦っていた相手は、曙、武蔵丸(以上横綱)、小錦、魁皇、千代大海、武双山、栃東、出島、雅山(以上大関)、栃乃和歌、琴錦、寺尾、水戸泉、琴ノ若、土佐ノ海(以上関脇)、さらには同部屋には兄の若乃花(三代)、貴ノ浪(大関)、安芸乃島、貴闘力(以上関脇)と、錚々たる顔触れである。

 

毎場所誰が優勝するか分からないほどの強豪が揃っており、まして皆横綱たる貴乃花を全力で倒しにくるので、こうした状況の中での優勝22回は現在の同じ実績とは重みが違う。

 

申し訳ないが、見ている方は現在の相撲は当時の相撲よりもつまらない。

 

それは、様々理由があると思うが、やはり一つには横綱・白鵬と他の力士の地力の差があり過ぎること、全体的に相撲が単調になり過ぎており、細かい技術などが見られないこと、力士が”無駄に”大きくなりすぎていること、などが挙げられるだろう。

 

厳しいことを言うかもしれないし、あくまでも私の見解なので賛否はあるだろうが、しかし言っておく。

 

白鵬という横綱は、”本物”の横綱ではないと思う。

 

確かに他を圧倒する強さ・技術があり、若い頃は人一倍稽古を積んだ人間である。したがって、相撲が巧くて強いことは認める。

 

しかし、「力量」は抜群であっても、「品格」という点ではどうだろうか。

 

カチ上げと称して相手にエルボーを喰らわせ、同時に張り手も使うような立ち合いは、あり得ない。

 

また、勝負がついてからのダメ押しもよくやる。

 

ただ強ければいい、結果さえ残せばいい、勝てば何でも許される、というような心がけで相撲を取っているなら、横綱である必要はない。

 

これを、「モンゴルと日本では文化が違うので考え方も違う」と言って庇うようなことを言う向きもあるが、ならばハワイから来た高見山、小錦、曙、武蔵丸はどうか。

 

皆日本人以上に日本人らしくふるまい、特に曙・武蔵丸は全力士の模範たるべき横綱の地位にあり、「力量」「品格」ともに尊敬を集めた。

 

決して目の前の相手から逃げず、正々堂々戦い、卑怯な勝ち方はしなかった。

 

翻って、白鵬はどうか。

 

お世辞にも「品格抜群」であるとは言い難い。

 

だが、悪いのは白鵬だけではない。

 

そんな白鵬に好き勝手を許してしまう大関以下の力士たちは何をやっているのか。

 

ただにパワーだけを追求し、自分の体重を支えられるだけの体を作る前に、まず体を大きくする。

 

それによって怪我もしやすくなり、相撲も技術ではなく力に頼るようになり、単調になる。

 

さらに、白鵬よりも稽古をしない。

 

つまり、本気で白鵬を倒しに行こうという気がない。

 

本人たちは自分たちなりに一所懸命努力しているのだろうが、見ている側からすると、「稽古が足りない」「相撲に対しての考え方が甘い」と見えてしまうのである。

 

これらの理由によって、つまらないので見る気にならないのである。

 

 

…だいぶ熱が入ってしまい、前置きだけでかなり分量を割いてしまった。

 

最後に、本書を読み終えて、改めて貴乃花の生き方・考え方には感銘を受けた。

 

貴乃花は、要所要所で後ろ盾や片腕となってくれていた人物(父であり師匠の元二子山親方(元大関・貴ノ花)や、よき理解者であり参謀であった元音羽山親方(元大関・貴ノ浪))を失っていてことも不運だった。しかし、貴乃花が相撲協会の中心となり、貴乃花を慕う若手の親方衆が貴乃花を盛り立てていけば、相撲界もまた違ったことであろう。

 

それと、貴乃花を追放したときの協会のやり口も陰湿極まりないやり口であった。

 

貴乃花を追放し、旧態依然とした体質を守り、白鵬と馴れ合いを続けることを選んだ日本相撲協会が、本当に自らの体質を改善できる日は来るのであろうか。

 

私としては、日本プロレスから全日本プロレスや新日本プロレスが分かれたように、貴乃花が新たな大相撲の団体を作っても面白いのではないかと思ったのだが、どうだろうか…。

 

戦後の相撲界では10代ごとに大横綱が生まれている。

 

第45代横綱・若乃花(初代)→栃若時代の一翼(もう片方は44代・栃錦)

第55代横綱・北の湖→輪湖時代の一翼(もう片方は54代・輪島)

第65代横綱・貴乃花→曙貴時代(もう片方は64代・曙)

 

このジンクスに従えば、現在は72代・稀勢の里が最も新しい横綱なので、あと3代後の75代の横綱が、新たな時代を築き、相撲界が変わるチャンス、なのかもしれない。

 

今でも、貴乃花を慕う人は多い。

 

そんな若者が一人でも多く角界で出世し、貴乃花の精神を受け継いで、角界の改革を目指してくれることを、現在は願うばかりである。

 

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