森山至貴『LGBTを読み解く―クィアスタディーズ入門』読了。
セクシュアルマイノリティについては以前から関心があったものの、憲法や軍事関係などの本がどうしても優先してしまい、なかなかこのテーマに関連する本を読むことが出来ていなかった。
しかし、憲法や軍事の本ばかり読んでいてもよくないので、少し箸休めのような感じで、全く違うテーマのものを、ということで、このほどようやく1冊読むことができた。
本書は、セクシュアルマイノリティについての入門書というような位置づけということができると思う。みんな知っているようで知らないセクシュアルマイノリティについて、分かりやすく解説してくれている。
ところで、セクシュアルマイノリティというと、いわゆる「LGBT」のことである、と大方の人は思うことであろうが、セクシュアルマイノリティはLGBTだけではない。LGBTはあくまでもセクシュアルマイノリティの一部である。
本書の中でとても参考になったのは、「性別」、「性的指向」に加えて、「性自認」という概念を用いることで、LGBT以外の多様な性のあり方が認識できる、ということである。
異性愛者のマジョリティであるならば、性別:男(女)、性的指向:女(男)、性自認:男(女)、となる。
これが例えば、性別:女、性的指向:男、性自認:男、ならばどうだろう。身体は女だが、性的指向は男で、自分は男である、と思っているということである。この人は、セクシュアルマイノリティのしっかりした知識がない人が見ると、身体は女で性的指向も男なのだから「異性愛者の女性」だと思うだろうが、さにあらず。性自認が男なので、トランスジェンダーの男性(トランスセクシュアルの男性同性愛者)、ということになる。
著者は、ある人の性別は、その人のセックスや容姿に基づいてではなく、性自認に基づいて判断すべき、としている。それについては、同感である。しかし、現在の日本の社会は、まだまだセクシュアルマイノリティに対しての理解が足りず、セクシュアルマイノリティに対して不寛容な社会であると思われる。人の性別が性自認で判断されるのが当たり前になる社会になる日はまだまだ先のことなのだろう。
ところで、本の感想から少し外れるが、セクシュアルマイノリティというテーマから、色々考えたことについても若干触れておきたい。
①誰かが誰かを好きになるときに、身体的性別がそれほど重要なのだろうか。
異性愛者にとっては、男(女)が女(男)を好きになる、という構図以外は考えられないことなのかもしれないが、それはあまりにも型にはまりすぎてはいないかと思うのである。誰を好きになろうと、「人が人を好きになる」ということに変わりはないのだから、それが男であろうが女であろうが構わないのではないか。もちろん、男(女)が女(男)を好きになる、ということが「普通」だ、と考える人たちの考えを全て否定するつもりはない(主義・主張は人それぞれなので)。しかし、その「普通」を、自分たちの理解の及ばない人たちに押しつけ、その人たちに不当な差別をし、人格や個性を全否定するような風潮というのは間違っている。
②セクシュアルマイノリティに対する無理解、差別というのは、日本国家にとって大きな損失であると思うのである。
というのも、世の中には様々な分野で才能のある優秀な人材というのはたくさんいる。しかし、その優秀な人材の一部が、セクシュアルマイノリティであるというだけで家族や職場など、社会の様々なところで不当な差別を受け、人格や個性を否定されているとしたらどうであろうか。みすみす国家の繁栄に資するであろう人材を失っていることになるのではないか。
これは社会の風潮とも関わってくるので今すぐに変えるということは難しいだろうが、こんなことをしていては、とても中・露・北に対抗することはできない。
今は国家の危急存亡の秋である。一人でも多くの人材が欲しいのである。セクシュアルマイノリティという観点からも、安全保障を少し考えてもいいのではないだろうか。
世の中に自分と同じ人間など一人もいないし、自分一人では生きられない。だから自分にないものを持っている他人と足りないところを補い合い、助け合いながら生きる。それが他人を尊重するということになると思うし、多様性を大事にするということだと思う。
多様性を否定し、自分、あるいは自分と同じような考え方の人の考えを押しつけるというのは、ある面では共産主義にもつながる危険なことなのではないかと思う。
日本の社会にある固定観念みたいなものを、一度疑ってみて、もしそれが「おかしい」と思うようなものならば、変えていくことが必要だ。日本という国家を守るために、変えるべきところは変えていく。健全な保守思想のあり方ではないか。
よくLGBTとかセクシュアルマイノリティとかいうと、左派的なイメージを持たれがちで、敬遠されがちなところもあろうと思うが、「くにまもり」に右も左もないと思う。右派にもダメなところはあるし、左派にもいいところはある。ダメなところは捨てて、いいとこどりをすればいい。結果として日本という国家を守ることができて、日本の歴史・文化・伝統を守りつつ変えていくべきは変えていく。そして日本が繁栄すればそれでいいではないか。世の中、「絶対にこれが正しい」というものはないのだから。
ここまで、ごちゃごちゃとまとまりのない文章を書いてきたが、まあそんなこんなでセクシュアルマイノリティについて学ぶことは有益ではないかと思う次第。
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