土浦にて宿泊し、次の日は南下しながら
潮来に向かう途中、土浦からすぐに予科練平和記念館があり立ち寄りました。
あの有名な古関裕而さん作曲、大好きな舟木一夫さんの代表曲(絶唱)作詞された西条八十さん若鷲の歌
🎶若い血潮の予科練の、七つボタンは桜にいかり、今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ〜🎶
軍艦高雄に乗ってた父が良く歌ってました。
この歌にある霞ヶ浦って土浦から潮来まである
日本で2番目に大きい霞ヶ浦の湖のことなんだ!
と凄い嬉しかったです!
中は撮影禁止でした。
昭和を代表する土門拳さんが土浦海軍航空隊に
泊まり込んで撮影した写真42枚が展示されてました。海パンみたいな白い布パンツ一丁で
体操する所や七つボタンの制服着て
軍歌を歌う予科練習生たち。戦後一連の写真のほとんどが焼却されてしまい、展示されている写真は持ち主の予科練習生が入院中だった為処分をまぬがれて奇跡的に残ったものだそうです。
ここ茨城県阿見町は大正時代に、霞ヶ浦海軍航空隊が開設されて以来、昭和14年に飛行予科練習部(予科練)が横須賀から阿見町に移転し、終戦まで全国の予科練教育、訓練の中心的な役割を担ってきたそうです。