【パチスロの旬】 -144ページ目
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なぜかコメントが書けないので…

パチスロに人生を預けるPart12


コメントが書けない為、レスをこちらにします。







りおんさんへ>のん気でちょーどいいよーー。この記事だけテイストが違う感じなのでw北斗で8700って…かなり回してますね。ボクも今じゃ大して回せないですけどね、今は。よろしくお願いしまーーす!



ojisuroさんへ>そうそう「学ラン」で打ってましたよーー、ってボケようとしたら…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルラン←って変換されて、PCにボケられますたwww



mr100404さん>もう7年近くやってますからね^^;、でもその割には大したことないですよ。mrさんは時代がちがうんですね^^でもよろしくお願いしますね。



さぼさぼさんへ>昔はゴッドハンドだったんですけど今は…。さぼさぼさんが頑張るって、なんか本末転倒な気が…Orz そしたら名前変えなきゃw



ヤナやんさんへ>へー、昔はATARIYAがパルクだったんですねえ。知らなかった^^;早く開店しないですかねーー、新規の店w



エミさんへ>ビショップもすきでしたかあ。けっこう打ってるんですねーー。アステカ…あのころの機種が一番すきだったなあw



たかさんへ>ワードラ!!ボクも好きです。音楽とかもかっこいいですよねーー。設定6もすごかったしwサントラ聞きたくなってきたw



golgo-thirteenさんへ>いつからかサボテンを高速で取れるようになりましたけど…。発売当初は、もったいないオバケがでるほどこぼしてましたw


うまスロさんへ>爆裂時代ですねーー!ここから。今までのモノが全くかわりましたもんね。こっちがわの視点まで変わりましたねーー。おかげで今は5号機時代…ツケが回ってきた感じですよね…。



デジウチさんへ>北斗で10000回転って相当すごいですよねw負けてるかも知れないです。。。今のストック機でも、10000回転はかなりボーナスが引けない状態じゃないときついかも?w



れみさんへ>基本的に前を向くことしか知らないO型なので、せわしないですよw花火百景の300枚チョイってww笑ったけど、僕もそんなことあったので懐かしかったです^^



こっちいさんへ>こっちいさんもかなり早いですよねーー。しかも目押し精度は激高。もう本物ですよ。気になる人のブログは見に行ってます。気になる人がいっぱいいるのでw(特にダメクラ)



会長さんへ>うおおおおお、なにげにかなーーーーーりの打ち手じゃないのよ!



boboさんへ>ワードは後でしたね^^;ジャグラーで7000回せれば充分だとおもいますよーー。ボクの場合は、これしかない!ってぐらい思いつめてましたからねーー。boboさんも本気になればいけますよ^^

2002年まとめ

■2002年

1月+1049000
2月+985000
3月+481000

4月~12月+2400000(4月から専門学生)



月平均+409583

月平均休暇13日

合計+4915000


■生涯収支

1998年+2000000

1999年+4685000

2000年+5240000

2001年+7675500

2002年+4915000

合計+24515500

2001年まとめ

■2001年

1月+764000
2月+331400
3月+515800
4月+588800
5月+2176500
6月+333000
7月+676000
8月+852000
9月+233000
10月+655000
11月+43000
12月+507000


月平均+639625

月平均休暇9.7日

合計+7675500


■生涯収支

1998年+2000000

1999年+4685000

2000年+5240000

2001年+7675500


合計+1960000

2000年まとめ

■2000年

1月+124000

2月+262000

3月+557000
4月+765000

5月+224000
6月+477000
7月+593000
8月+679000
9月+538000
10月+219000
11月+151000
12月+651000


月平均+436000

月平均休暇5.8日

合計+5240000



■生涯収支

1998年+2000000

1999年+4685000

2000年+5240000


合計+11925000

第2話 出なきゃ低設定

■連勤日数
25日



■日付
1999年2月8日~3月4日



前回の連勤日記は26連勤したにもかかわらず負け(笑)。どんなにしっかりと稼動しようと、立ち回りがヘボけりゃ全く収入にならないってこと。



今回の25連勤でもメイン機種はクランキーコンテストなんだけども、前回の負け稼動を糧に少し触り方や台の選び方を変えてみたようだ。



それではコラムをどうぞ↓



・2月8日~
良く行くホールの常連さんが設定判別をやっていたので、雑誌を元に真似してみた。クランキーコンテストで試すも…手持ち枚数忘れたり小役ハズシを失敗したりで、再試行の連続。それでも判別中にボコボコとクランキー連して3000枚(笑)。判別なんていらねー、って思ったり。でもハズシミスや取りこぼしが多かった為、勝ちながらも何かモヤモヤしたものが残る。



・2月9日~
次の日には、設定判別が簡単だと言われる花火にて再挑戦。結局、設定判別やるのな(笑)。7台中1台が設定6なので、まずはビッグ1回引っ掛けてみる。今回は手持ち枚数が常に同じな為、設定判別に苦戦せず。ポコポコっとビッグが当たったおかげで、低設定ながらも+1万円。ラッキー。



・2月11日~
また別の日。未だにクランキーコンテストの設定判別ができないながらも、とりあえずクランキーコンテストを打つ。フル攻略なら「設定1でも勝てる」と雑誌に書かれていたから。んが、全くビッグが引けず2日間で-70000円。痛すぎる。やっぱり設定判別できなきゃダメだ…。



・2月14日~
次の日は、やっぱり設定判別の簡単なバーサスへ(笑)。10台ある中、高設定が半分ぐらいなので片っ端から設定4以上判別。友達が先に打っていたのでまずは隣の台から攻める。1台目で引っかかったんだけど、なぜか隣の友人も合格。2台並びでフル打ちすることになった。終始グダグダな展開ながらも、2人とも閉店間際には2000枚ほどゲット!! 設定判別ってスゲー、と2人で感心した。でも次の日、クランキーコンテスト&バーサスで同じ夢を見ようとするが、双方とも判別不合格。19000円負けた。



・2月16日~
気分直しに、前回気持ちよく勝てた新装開店に行ってみる。あの怖い雰囲気はあまり味わいたくないから、友人の家の近くにある寂れた小さいホールに行ってみたんだよね。



新台は「花月」。開店1時間前から並んだんだけども、開店時には友人と俺の2人だけ(笑)。出るのか不安になった。7枚交換だっただけに、あまり大勝ちは期待できない。それぐらいはわかるようになっていた(笑)。しかも新基準機と言う事で、BIG中の消化手順がわからない。BIGを引くも不安げに小冊子の手順通りに消化。周りのおばちゃんは目押しができず、みんな350枚前後の獲得枚数だった。



俺と友人は6時間もする頃には箱を積み、またもや「新装開店」での勝利を収めることができた。夜は用事があったので早めに上がるも、当時ではめずらしい4000枚近くのコインを獲得することに成功した。友人は5000枚。



新装って負けないんじゃね?



この時の俺と友人の認識は間違っていなかった。



その後は、またいつもの店でバーサスを打つ日々。朝一でホールに行って適当な台に座り、BIGを引いた後、設定判別をする。夜からしか稼動できない日は、設定発表が行われる時間まで待ってから打つか、ボーナス確率の良い台に座る。これだけで連勝が続いた。



2月20日~
また別の日に新装開店を見つけたので、友人と出陣。並びは30分ぐらいで、「ウルトラマンクラブ3」と「レッツ」を確保! 「ウルトラマンクラブ3」は多少打ち方に不安があるも、前回打った「JAPAN」のおかげで違和感なく打ちこなす事ができた。一方の「レッツ」。こっちの台も別の意味で不安がある(笑)。クランキーコンテストでさえしっかりとハズシができないのに、同じ色の7図柄が沢山あったりでどっちの7がハズシ用の7かわからなかったりする。



「レッツ」の方は偶然店に遊びに来ていた、同じ中学校の後輩でパチプロがいたので、BIG中のJACゲームで3回目に入る時点で相当フルーツゲームが残っている時だけは後輩に消化させた。俺たちはウルトラマンクラブ3をブン回していたんだけど、リーチ目は中段5枚役揃いで同時当選することがほとんど。ま~当時の機種に同時当選なんかあるわけもなく(当時の同時当選は裏モノのみ)、ただ単にリーチ目を見逃していただけ(笑)。それも今からじゃ考えられないような複雑なリーチ目が多くて、俺たちのスロ歴程度じゃ「ゲチェナ」しかボーナス察知ができなかった。



それでもウルトラマンクラブ3が設定6っぽかったおかげで、6時間程度で5000枚近く出た。友達とノリでやっていたので、一人+44750円。いまおもえば、機械割140%と言うものを初体験したのがこの時だったと思う。



その後もバーサスとクランキーコンテストの判別を武器に、いつもの店で立ち回る日々。クランキーコンテストの判別ができるようになってからは、2日に1度くらいは高設定を掴めるようになった。ただ、高設定を掴んだ時でも低設定のような挙動をすることが多々あって、そんなときは「判別失敗したのかな…?」と言った不安から、途中でヤメたりしていた(笑)。出なきゃヤメる、これが当時の俺流「立ち回り」だ。



またバーサスは設定1の機械割が甘めだったからか、低設定を掴んでしまっても勝ってしまうことの方が多かった。雑誌に「勝てる」と書かれていた「タコスロ」なども視野に入れ始め、打てる機種の幅を広げていった。



「機種の幅を広げていった」と言うよりは、目押しで失敗したり成功したりと、本当にゲームをやっている感覚が楽しくて仕方がなかった。新しいゲームは新鮮で楽しい。この時の俺たちの頭の中では、「勝つ」と言う要素は大事ではなく、まずは「楽しいかどうか?」って言うことが一番大切だった。



ただ、当時の資金的な観点から行くと、負けたら打てなくなってしまう(笑)。だからパチスロを打つためにパチスロを打っていた(稼いでいた)…と言う、終わらない確変に入っていたのだ(笑)。



+42万と言う収入を叩き出せたこの25日間は、その後のパチスロ生活への大きなきっかけとなった。



■当時打った機種
コンテスト
花火
バーサス
ビン神
タコスロ
レッツ
ウルトラマンクラブ3
花月
花火

JAPAN
ピカゴロウ


■収支
+422250円 


■備考
新装開店×3
高設定確定台×4

第1話 初遠征

いきなり遠征編から始まるのもどうかと思いますが、過去の収支帳ではここから始まってるのでここがスタートです。



さてこのコラム、どんな内容を書いていくのかと言うと…過去に連勤した時の稼動内容を書いて行こうと言う物。今までのコラムって、大まかな立ち回りしか乗せてなくて「話の流れ」を大事にして書いてたので、あまり細かい稼動内容を書いてなかったんですよね。



去年、全国スロッターの話をしていた時に思いついたのがこれで、去年の暮れぐらいから収支帳とにらめっこしつつこの記事を書いてます(笑)。と言うのも、収支帳に書いてあるのは数字と機種名だけなんで、この収支額からイベント内容や当時の立ち回りを思い出さなきゃいけないんです。



これが思ってたよりは難しくなくて…バカでも覚えてるものですね(笑)。



ではどうぞ↓



第1話 初遠征



■日付
1999年1月1日~1月27日



これはパチスロを打ち始めて2年目のこと。確か「今年はパチスロで勝って行こう!」と思って、収支帳をつけはじめた。



この頃はクランキーコンテストが大好きで、夜間学校までの暇潰しに毎日打っていた。もちろん、まだ判別さえも知らなかった頃。BIG中のビタハズシが決まる度に、一喜一憂していたのは今でも懐かしい。



・1月1日~
26連勤中の最初の4日間は花火とクランキーコンテストでの稼動が中心。6枚交換で「3台中高設定が1台」という極々普通のイベントに通っていた。今思えば、その1台(高設定)も設定6とは限らない。むしろ設定4の割合が高かったのは、今考えて見れば…と言う話。



この時期は「きな台」がそこにあってそのシマの中に「高設定」さえあれば、もう他に何も気にならなかった。見たことのない人がいつも自分の打っているクランキーコンテストに座っているだけで、少し悲しい気分になったものだ。



上記の理由以外に、雑誌上では「設定1でも機械割100%以上」とか「設定6を掴みやすい」などなど、「勝てる台」と言う刷り込みをされていたのも打っていた理由の一つ。



実際には、月単位でもそこまできつい収支にならなかった事を覚えている。ただ6枚交換で打つのにはそれなりの目押し力と、知識が必要だったのは知らなかった…。



・1月5日~
この日から僕は人生初の旅打ちに行く事になった! 「人生初の旅打ち」と言えば聞こえはいいが、実際はただ単に地元のホールへ行くのが飽きてただけ。



新しい地域に行くと、特有の機種とか裏モノが存在するらしくそこら辺も楽しみの一つだった。今回の旅で見つけた新しい機種は大阪・道頓堀にある8枚交換の「ウイルスショック」。雑誌では何度か目にした事があっただけに、触らずにはいられなかった。



また関東では6枚交換が主流だっただけに、8枚交換では一日の投資上限を1万円に設定して遊び打ちしていた。あまり負けると旅行自体が切迫したものになるし、そこそこ長く滞在していたかったから。



軽く負けた後は大阪タワーに登り、「風で倒れるんじゃないか?」といった観光気分じゃなくジェットコースターに乗ったかのような気分で大阪を後にしました。



また京都にある烏丸のオ○ガでは7枚交換? ながらもクランキーコンテスト全台設定5以上&1回交換をやっていた。この店ではコンドルをちょろっと打ち、例のクランキーコンテストの一回交換で+27000円! 今回の旅打ちでは大勝と言える快挙だった。



・1月10日~
東京に帰ってきて初の稼動はやっぱりクランキーコンテスト。これはボチボチながらも、近くの店で新装開店があると言う事で小1時間並んでみた。夕方6時開店だったが、旅打ちを共にした彼と「ノリ」で、サミーの新機種「JAPAN」を打った。当時のCT機はビタ押しじゃないと小役が取れない上に、差枚で200枚以上出るとパンクしてしまうので小役ハズシができなきゃいけなかった。195枚付近で現状維持していると7枚役だったか8枚役がオヤジ打ちで揃い、パンクしてしまったりしたのだ。



僕達2人の目押し力も、2コマ目押しがやっとだったのでCT機には本当に悪戦苦闘した。目押し力&集中力のレベルアップを計る良いキッカケにはなったのだが、どうしても「面倒臭さ」が好きになれなかった。



また新装開店と言うももに行くのも初めてで、開店時の台の取り合いにはカルチャーショックを受けた。先頭に並んでいた連中はシマ毎占拠するし、後ろに並んでいた奴らも容赦なく走って抜いていく。それでもなんとか新台を取れたのは「運」だったと思う。



結果この日は+24000の快勝だった。初めてCT機と言うものに触れたのだが、その爆発力は想像を絶するほどであることも知った。



・1月22日
この頃から隣駅まで「遠征」をするようになる。つい先日大阪まで行ったのだが、「近場での遠征」はしたことがなかった。遠征と言うよりも遠出という言葉の方がふさわしいのかもしれない。



そしてこの遠出をして知り合えた機種が「レインディア」。こいつはクランキーコンテストに比べるとちゃっちい絵柄で、どうにも「出なそう」な気がしたから僕は触らなかった。だが一緒にいった友達がポコポコと大当りを繋げて1箱出ているのを見て、少し心が揺れていたのは言うまでもない。



「友達が出てると自分も出る気がする」のは当時よくやっていた「立ち回り」だ(笑)。そして移動して自分が打つと…友達よりも出てしまう(笑)。



この頃はそんなパチスロの不思議な魅力が堪らなく面白かった。



■当時打った機種
クランキーコンテスト
花火
バーサス
007
タコスロ
ワニ丸
バーサス
JAPAN
サンダー



■連勤日数
26日


■連勤中の収支
-32000円 


■備考
旅打ち(名古屋~京都~大阪)

1999年まとめ

■1999年

1月+44500
2月+296750
3月+438000
4月+381000
5月+240500
6月+253000
7月+260500
8月+181500
9月+27500
10月+1235500
11月+495000
12月+829000


月平均+390750

月平均休暇3.5日

合計+4685000


■生涯収支

1998年+2000000

1999年+4685000


合計+6685000

1998年まとめ

■1998年

約+2000000(パチプー)

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