本稿はマスク着用に関して意見を述べるものではなく、
また何ら学術的な意見を述べる場でもない。

終わらない思春期的リビドーを持ち続ける私による、
読むだけ時間を浪費する駄文である。

そんなことは無いとは思うが、
本稿に対しクソフェミ議論会などは開かないでいただきたい。

 

さて、現代において秘部をさらけ出すのは重罪である。

パンツを脱いで自らの息子のゆらめきでもって風向きを測ろうとしたり、
太陽の元ブリッチをして即席の日時計で時間を見ようとすると即刻御用である。

 

現代の技術を駆使して股間の3Dデータを配布した某漫画家が捕まり、
お茶の間で惜しげも無く報道されたのも記憶に新しい。

 

さて、ここで問題である。

私たちはなぜ秘部を開けっぴろげにするのをタブー視するのだろうか。

 

生物として原初的な本能であろうか?

おそらく違う。

世界の果てまで行ってクエスチョン的な某番組で文化的に発展途上の国なんかのロケでは、
おっぱいをほっぽり出した先住民族の映像が多く見られる。ありがたや。

 

これがタブー視されるのは順番がある。

原初よりそれは恥ずべきものではなかったはずである。

 

しかし弱点ではあった。

爪も牙も持たず、鱗も甲殻もない我々人類にとって、

生殖器というのは大きな弱点であり、

これを保護する必要があった。

 

こうして秘部は人の目からだんだん離れていくことになる。

 

しかし、人は見えなければ見えないほど、

禁止されていればされているほど、

やりたくなる心理がある。

「カリギュラ効果」と呼ばれるものだ。

 

人はそれをひと目に晒そうとしないが、

しかし同時にそれを見たがる。

現代の秘部の完成である。

 

さて表題の話だ。

昨今、マスクの着用が全世界的に義務付けられ、

画面越しでしか素顔を見る機会もなくなってきた。

 

会食の場であってもついたて等を設置する飲食店が増えている。

 

どうだろうか?

以前に比べて人の素顔を目にする機会が減ってはいないだろうか?

 

鼻や口は、今や人類共通の弱点となった。

弱点を保護するために我々はマスクを着用している。

 

人類の歴史の中でこれと同じ歴史を辿ったものといえば…

そう、秘部である。

我々が日がな大事に下着にしまい込んでるアレである。

 

新しい生活様式、マスク着用の半義務化、

これらが示す答えはそう!!

鼻口秘部化”である!!!!

 

近い将来テレビで見る鼻や口にはモザイクがかけられ、

マスクは多様化。

紐マスクや穴あきマスクがアダルトショップで販売されるようになり、

えっちなビデオのパッケージではスケスケのマスクを着用した男女が微笑んでいることだろう。

 

やがてヌーディストの名の下にマスク不着用の集団が、

山手線でデモを行う事もあるかもしれない。

いや、これはやっていたが。

 

ん〜、リビドー。。

 

あ、オチなんてないよ。

思春期男子の阿呆さと頭の悪さを楽しんでいただけたのなら幸いです(独身成人男性 フリーターより)