実家は地方の小さな納豆屋
↓ 店舗はなく、両親が手作りし、近所に引き売り
↓ 「こんな先細りの商売なんてしたくない!」
↓ 早くこの街を出ようと上京
↓ 住宅機器メーカーのエンジニアとして就職
↓ 30歳のとき、家族のそろった席で、父が一言「…そろそろ家業を畳もうと思う…」
その言葉に反射的に答える 「自分に…継がせてくれないか…」
一人暮らしをしてから気づいていた 。スーパーで買った納豆、食べてみてもなんか違う、美味しくない 当たり前に食べていた実家の納豆は本当においしいんだ、と
そんな大事な納豆がなくなってしまう…
正式に納豆屋を継ぐことに 引き続き製造は両親が、販売部門を自分が担当 引き売りの時代はもう終わり、これからは小売りだ! ↓ ↓ ↓ 「ダメダメ!もう品数そろってるからいらないよ」 ↓ 「高すぎでしょ、ほかの商品見てみてよ」 ↓ 「ふつうは3パックでこの値段なの、御社は高すぎだよ」 ↓ ↓ ↓ 直売りから卸になるため、どうしても売価は高く設定していたが… ↓ 営業しても、ことごとく断られ、美味しさを伝えても取り合ってもらえない ↓ 結局、100軒まわって、置いてくれたのは、 ↓ たったの2軒… ↓ ↓ ↓ なんとか2件の販路を確保するも生活はギリギリ ↓ 早くも継いだことを後悔し始める… ↓ ↓ ↓ そんなある日、スーパーの豆腐コーナーであることに気づく ↓ 1個58円~68円の品が並んでる中に、ひときわ目立つ商品が ↓ なんと1個 300円、茂木豆腐店『三之助とうふ』 ↓ しかもスーパーの店員さん曰く、大人気商品とのこと ↓ ↓ ↓ 営業の帰り道に、その豆腐店を見つけ尋ねてみる ↓ 「300円の豆腐が何故こんなに売れるのでしょうか?」 ↓ ↓ ↓ これまでのいきさつを説明、 ↓ これからどうしたい?と聞かれたので、 ↓ 「今は70円で卸しているのですが、なかなか難しく…、もっと安い原材料を使って、値段を安くするしかないですね…」 ↓ ↓ ↓ 「帰れっ!」 ↓ 「納豆は何でできている?大豆と納豆菌だろう、素材に良いものを使わないで、美味しくなるはずがない、君の商売は、情熱とプライドがないっ!」 ↓ ものすごい剣幕で怒られる ↓ ↓ ↓ そしてこう続ける ↓ 「これはうちが使っている大豆だ、これを使って自分の納得する納豆を作れ!」 ↓ ↓ ↓ そう言うと、貴重な大豆を卸してくれることに しかも、製造した納豆は、すべて買い取り、自分の茂木豆腐店の販売コーナーで販売してくれる、と ↓ 販売価格は270円となったが、茂木豆腐店は全てを買い取り、しかも買い取り額を売価にして販売 ↓ ↓ ↓ このおかげで事業は軌道に乗りようやく安定 ↓ ↓ ↓ そんなこんなで1年が経過したある日、 ↓ 「今日で取引は全て終わりだ、あとは、自分で販売しろ」と言われる ↓ せっかく軌道に乗ったのに…どこで販売すればいいんだろう… ↓ 小売店もスーパーもすべて断られているのに… ↓ ↓ ↓ 悩み抜いた末、ダメ元のダメ元で百貨店に飛び込んでみることにする ↓ するとバイヤーから驚きの言葉が、 ↓ 「明日から納品できますか?」 ↓ ↓ ↓ えっえっなんで、なんでこんな無名の納豆が!? ↓ 驚きを隠せない自分に、バイヤーはこう続ける ↓ ↓ ↓ 「実はですね、うちは茂木豆腐店さんの『三之助とうふ』を置かせていただいているんですが」 ↓ 「茂木さんはお越しになるたびに、この納豆をサンプルで置いていってくれましてね」 ↓ 「おいしかったので、ぜひ取り扱いたい!と伝えたんです、そうしたら茂木さんがこう言うんです…」 ↓ 『…その納豆はうちで作っているものではないんです、そのうち作り手の若い者が必ずこちらに営業に来ますから…』 ↓ 『…その時は…その時は、置いてやってください‥』と ↓ ↓ ↓ 実は買い取った納豆は、すべて自分の豆腐店の販売コーナーで販売していたわけではなく、 ↓ サンプルとして、百貨店などに送り、自分に代わって営業をかけていてくれていたのだった ↓ ↓ ↓ 初めて知った事実、全く知らなかった… ↓ 涙が止まらなかった… ↓ 心から伝えた…ありがとうございます…本当に本当に…ありがとうございます… いまでは自社工場を構え、百貨店はもちろんのこと全国のスーパー、小売店など200社弱と取引するまでに成長 「茂木さんからしていただいたことを、次の世代につないでいくことが、茂木さんへの恩返しだと思ってます、恩送りですね」そう話すのが、 有限会社下仁田納豆 代表取締役社長 南都 隆道さん!
Xのぴーたろ さんのツイートより
ぴーたろ
偶然にもこの納豆を数年前から食していた。ヨシヅヤ名西店で売っていた。