5月3日に生まれて | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 5月3日に観たテレビドラマで印象に残っているものがある。1991年5月3日にNHKで放映された『李君への手紙』だ。出演者で名前を憶えているのは主人公の元恋人役の洞口依子と主人公が勤める塾の生徒役が高橋かおりだ。

 

 ドラマの舞台は大阪。主人公は李という在日朝鮮人の青年で、日本式の通名を名乗って塾講師として中学生たちに勉強を教えている。

 

 李には勤めている塾で気にかかる生徒がいる。

 一人は高橋演じる女子生徒。彼女は英語圏にいた帰国子女。あの頃は学校での帰国子女に対するいじめが問題となっていたが彼女もいじめられていた。担任教師の教科が英語だったのだが、彼女が授業中担任の英語の間違いを指摘したところ担任がそれを逆恨みし、学校内でのいじめを放置していた。

 もう一人は在日朝鮮人の男子生徒。

「キムチのにおいを消してやる。」

とほかの男子生徒たちから頭に消臭スプレーをかけられる場面がある。

彼の父親は厳格な人物で、勉強のできない彼を

「日本人に負けるな。」

と叱責する。

 ある日、李は彼に自分の国籍を明かし、彼の直面する問題に関わっていく。

 

 やがて、二人のいじめられっ子に対するいじめがエスカレートする。少年は高高校進学をめぐる父の𠮟責にとうとう耐えられなくなる。

 少女は朝鮮人の子と仲良くしないよう母親に言われ怒る。

 そうして二人が家出する。

 

 ここで少年の祖母が済州島出身であることが明かされる。四・三事件といえば第二次世界大戦終結直後の混乱期に韓国軍が南北分断に反発する済州島の住民を虐殺した事件だが、祖母はそのとき島から逃げて大阪に移り住んでいた。

 二人が長崎港から船で済州島へ渡ろうとしていることを知った李は長崎へ急ぐ…。

 

 ドラマは二人の家出騒動から時が経ったところで終わる。騒動を機に李は自分の生き方について考えて塾を辞め、実名で生きるため行政書士の資格取得を目指す。

 李は街なかで少年と再会する。李と少年の会話で私たち視聴者は二人の中学卒業後の進路を知る。少年は専門学校へ進んだ。進学先では音楽仲間ができ、一緒にバンドを組んで活動している。少女はイギリスへ留学した。少女が少年に送った写真は少女と留学先のボーイフレンドとのツーショット。

「俺はただの友達だったんやな…。」

と少年は苦笑いする。

 

 ほっこりする終わり方のドラマだった。

 だが、あれから30余年、差別やいじめは無くならない。

 在日だと噂される芸能人は数多くいても、テレビドラマで在日朝鮮人が登場するものはおそらく皆無だろう。

 

 朝鮮労働党によるミサイル発射や日本人拉致で、事件とは関係ない子供たちに心無い言葉が浴びせられることも少なくない。

 

 話は変わるが、昨年李信恵(リ・シネ)さんという大阪在住の在日朝鮮人女性の講演を聴いた。李さんは文筆家で、諸々の差別に異議を唱えるため言論活動も行なっている。

 講演会で李さんはヘイトデモの映像を見せたりしながら在日朝鮮人差別の現状を語る。

 これが「大阪人の文化」なのか、深刻な問題をわかりやすく伝えようとしているのか、李さんはときどき講演に冗談を交える。

「皆さん、5月3日が何の日が分かりますか?」

と李さんが私たちに問うので

「私の誕生日です。」

と私はボケた。私の誕生日だというのは本当の話である。5月3日は祝日で、その名称は憲法記念日である。日本が連合国軍との戦争に負けた翌々年の1947年5月3日に主権在民、平和主義の憲法が施行された。しかし、その前日、天皇の名義で出されたいわゆる最後の勅令により、旧植民地である台湾、朝鮮の住民から日本国籍が剝奪された。5月3日は旧植民地出身者が外国人と扱われるようになった日、というのが李さんが出した問いの正解だった。

 

 そういえば私が10代だった1980年代、外国人の指紋押捺義務は事件侵害だ、といって当事者が抵抗したことがニュースで取り上げられていた。それに対して

「郷に入っては郷に従え。」

などと言った人もいたが、彼らが日本の為政者の都合で日本国民にされたり外国人にされたりした歴史を知ったらそんなことは口が裂けても言えない。

 

 下の画像は憲法第14条を解説するものだ。憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて…」という文言から始まり、法の下の平等を規定した条文だ。現在放映されているNHK朝ドラマ『虎に翼』は、後に裁判官となる主人公をはじめ、様々な女性が男女差別に憤っている。その冒頭は、現行憲法が施行される前日、主人公が憲法第14条の条文を読むところから始まり、主人公が女学生の時まで時間をさかのぼる、という構成だった。

 

 現在の憲法はGHQの押し付けかもしれない。だが、人がだれでも当たり前に生きることができるようにするための闘いは現行憲法施行前からあったし、現在はこの憲法に魂を入れるための闘いが続けられている。

 憲法での「国民」とは「日本国籍を有する者」と解釈したがる者もいるだろうが、1980年代の国会では「日本国に居住する者」と閣僚が答弁しているという。

 

 私は憲法を不磨の大典などとは思わないが、改正するならば人の多様性を認める方向の改正に限る、と私は思う。「国を守る」といってなし崩しに人々から権利を奪うような「改正」はまっぴらごめんだ。

 

 

 

 

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