入学式 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 私が大学に入学した時、入学式はなかった。1970年前後の学園紛争のときから入学式は開催されなくなり、大学当局が入学式を復活させようとすると新左翼の学生が妨害活動をやるので入学式はやらない、というのが私のいた大学だった。

 だから大学生活はクラス(大学の教養課程にもクラスがあって、第二外国語の講義はクラスでまとまって受けていた)ごとに講義室に集まり、住所届や履修届の用紙などの書類を受け取ることから始まった。書類を受け取った後は2年生の先輩が開いてくれたコンパだった。桜どころか肌寒い日だったが、キャンパス近くの桜の名所で花見コンパである。向かいの席に女子学生が座って、話しかけてみたら学科は私と一緒だという。これは幸先良いぞ、と思ったが女子学生とは全く話が合わない。そのうちに彼女たちはさっさと帰ってしまったので面白くないから大手メーカーの焼酎を一気飲みしたら、気が付くとベッドの中だった。

 

 私は大学に入学するにあたり大学の寮に入った。幸い同じクラスに同じ寮の者がいて、焼酎を一気飲みしてゲロを吐いて潰れた私と一緒にタクシーで一緒に帰ってくれた。(タクシー代はコンパを開いた先輩が持ってくれたとのこと)寮のベッドに寝かされて、酔いがさめるまで私は

「○○子」

とうわごとを言っていたという。○○子とは私が高校卒業の時振られた同級生だ。

 

 私にとっては、あれが入学式だった。

 

 なぜ新左翼は入学式に反対したのか?

 彼らが配っていたビラには入学式はエリート意識注入の場だ、と書いてあったのを覚えている。

 確かに、エリート意識は不要だ。むしろ人と対等な関係を築くうえで邪魔なものだ。だが、入学式がなくても、周囲から優秀だとおだてられたりしているうちに、ついついそんな邪魔なものを身に着けてしまう。

 大学の知り合いで、社会的地位を得た者の投稿をSNSで読むことがあるが、努力しても生活に困窮している人を見下しているのを読むとうんざりする。

 

 なお、私の出身大学でも私が卒業した年度から入学式が復活した。

 

 入学式といえば、近畿大学の入学式で世耕弘成・参議院議員のが式辞を述べた、というのがニュースになっていた。世耕氏は学校法人近畿大学の理事長だが、政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書に記載していなかったとして問題になっている人物だ。心ある教職員や卒業生は彼が理事長職にいることに問題意識を感じ、彼に辞職を求める活動をしている。そんな彼が、これからこの大学で学ぼうとする若者に式辞を述べるのだ。

「変化の激しい社会で自分の立ち位置をしっかりと把握してもらい、立派な社会人として近畿大を巣立っていただきたい」

という言葉には虚しさしか感じない。

 

 下にシェアする映像では世耕氏の式辞以外にも入学式の映像を紹介しているが、この大学の卒業生であり音楽プロデューサーのつんく♂がプロデュースしているというと、この式は中身のないただ愉快ならばいい、というものに思える。

 

 つんく♂は癌で声帯を失った後も音楽活動をしていて、素晴らしいじゃないか、という人もいるだろう。しかし、スポーツだとかエンターテイメントで活躍している障碍者を素晴らしい、と言っている人で、身の回りの障碍者には冷淡な人は結構いる。

 これから大学で学ぶ人はそういうことに疑問を持ちながら専門知識を習得してほしい。