今年の桜 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 今年は桜が咲くのが遅いなあ、と思いながら今日(2024年3月24日)、散歩をしていたら桜の花が咲いているのを見つけた。表通りの並木の桜はまだ蕾を固くしているが、個体差というか、この木はソメイヨシノとは違うのか、表通りから外れた場所でひっそりと花を咲かせている木があった。
 

 
 ここ近年は桜の咲くのが早くなった。私の住む東京都だと3月中に桜は満開となり、下手をすると4月の入学式のころには散ってしまう。今年は3月に入って寒い日が続いたおかげで「例年並み」になったのか。
 
 桜といえば、私が中学校で学んでいた時、年度初めのクラス集合写真の撮影は校庭のわきにある桜の木の前で行なわれた。写真が手元に残っていないのだが、確か1年、2年のとき撮った写真は満開の桜を背景にしたものだった。しかし3年の年度が始まるときに桜は咲いていなかったから、花の咲いていない桜の木の前で写真を撮った。この年は1984年。この年の冬は東京でも雪がよく降って何度も雪掻きをした。もちろん校庭にも雪が積もったからサッカー部員が懸命に雪掻きをした。この年は元号では昭和59年だったからこの年の雪は「五九豪雪」として記録に残った。
 あの時、学校の桜からちょっと離れた場所に梅の木があって、3年の集合写真のときには梅の方が満開だった。なんであっちで写真を撮らないんだろう、とその時思った。
 
 今まで生きてきて、もっとも私の心の残っているのは高校を卒業した春、東京の千鳥ヶ淵で観た桜だ。1年間学ぶことになった予備校の入学式が日本武道館で行なわれたので出席した。入学式が始まる前、近くの千鳥ヶ淵あたりをぶらぶらしながら満開の桜を眺めた。
 高校3年間、学校の勉強を舐めていたので浪人は当然の結果だった。卒業式の後、同級生の女の子に手紙を書いたのだが、「一流大学」に受かった彼女から
「浪人でしょ?変な手紙書いていないで英単語でも覚えていたら?」
という返事を受け取って、ようやく私は自分の立場を理解し、勉強して運命を切り開こう、と思った。そういう感性が鋭くとがった時の桜だった。
 
 人生を通じて桜を愛でることができるのは10回だけだ、という意味のことを言った戦国武将がいたそうだ。
 人生50年といわれた昔。ましてや戦乱の世では心にゆとりをもって花を眺める機会はどれだけあったか。
 それに比べ、平成令和の私たちは桜の花を飲み会の大義名分に利用しているだけなのかもしれない。
 
 
 さて、上の画は『源氏物語』を原作とした漫画『あさきゆめみし』(大和和紀・作)の一場面だ。若き光源氏は父帝の後添えである藤壺に恋をし、不義密通したのだがそのことは誰にも語れない。
 その藤壺が若くしてこの世を去った時、光源氏は
「ことしばかりは」
とつぶやく。
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」
という古今和歌集に掲載された歌を踏まえてのことである。
漫画ではこの場面を満開の桜と、その下で独り泣く光源氏の姿で表現している。
 私は予備校生の時古文の勉強と息抜きのためこの漫画を読んだ。恋愛至上主義的者だった当時の私はこの見開きの画が大いに心にしみわたった。 
 今思うに、藤壺の幻影を追って女遍歴をつづけた光源氏の生涯を最も顕著に象徴した場面がこの場面だ。