「源氏物語」を読み始めた | Kura-Kura Pagong

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"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 私が大学を受験したころは共通一次試験というのがあって国公立大学を受験する者だけがこれを受験した。共通一次試験は受験生の基礎学力を測るものだ。だから国語の古文では文法の面からみてひねくれている『源氏物語』は出題されない、というのが受験業界の常識で、予備校の授業でもそう聞かされた。ところが、私立大学も参加するセンター試験に移行する前の最後の共通一次となった平成元年度の試験では『源氏物語』が出題された。

 問題文をみて、これが『源氏物語』の一節だと知った時は驚いたが、共通一次でそんな難しい問題が出るわけはないし、大和和紀がこの作品を漫画化した『あさきゆめみし』であらすじは知っている、と思ったら落ち着いて解答できた。

 出題されたのは、光源氏の養女・玉鬘に貴族の若い男たちが恋文を送るくだり。玉鬘は光源氏が一夜を共にしているとき急逝した女性・夕顔の忘れ形見であり、源氏の親友で義兄の頭中将の娘なのだが、まだ社交界でこのことは知られていない。そして玉鬘に思いを寄せる若者の中には頭中将の跡取り息子・柏木もいる。

 問題の中には「玉鬘と柏木の関係は次のうちどれか。」

という、問題文を読まなくてもあらすじを知っていれば答えられる問題があったのには驚いた。

 

 

 結果的に受験の役に立った『あさきゆめめみし』だが、この漫画を作画した大和和紀は漫画好きの女の子に広く人気のあった作家だ。高校在学当時仲の良かった女の後輩もこの漫画は読んでいて、

「紫の上が可愛かった。」

と光源氏最愛の女性の少女期のキャラクターを話題にしたら

「ロリコン!」

と言われた。まあ当然の話だし、今となっては紫の上をほかの漫画の美少女キャラと重ねて眺めていた自分が結構恥ずかしい。彼女が

「私は末摘花なんですね。」

と言ったこともあった。末摘花は光源氏が関係した女性の一人で、貴族女性としてのたしなみがなくて容貌も劣っているのだが、純粋な心の持ち主だ。

 

 大学3年の時、現代語訳の『源氏物語』を読んだ。『源氏物語』は何人かの作家が現代語訳をしており、主語が明確になるよう訳した与謝野晶子訳が分かりやすいとされているのだが、私が手にしたのは文学的格調が高いとされている谷崎潤一郎訳だった。あのときは漫画で理解したあらすじを懸命に追いながら読むという感じで、あまり印象に残らなかった。まあ、光源氏なんて初恋の人である藤壺の幻影を追い、高い身分に任せて女性遍歴を繰り返した男。そんな話を理解してもしょうがないな、と負け惜しみみたいなことを思って最後のページを閉じたのだった。

 

 その源氏物語を昨年晩秋から読み始めた。今年の大河ドラマが『源氏物語』の作者・紫式部を主人公にした『光る君へ』だから、というのもあるが、瀬戸内寂聴がフェミニズム的視点から批判的に『源氏物語』を解説したのをテレビで聴いた時からもう一度この長編を読みたい、と思うようになった。

 読んでいるのは学生のとき買った潤一郎訳だ。昨年の暮れまでに『須磨』まで読んだ。父・桐壺院が他界し、異母兄・朱雀院が帝位を継ぐと、朱雀院の母一族が権勢を振るうようになる。兄帝の思い人・朧月夜との関係がばれたことで政治的立場の悪くなった光源氏が官職を捨てて須磨で隠棲する、というくだりだ。

 『源氏物語』で描写されているのは光源氏の女遍歴だが、そもそも光源氏は官僚であり政治家だ。そこいらへんは「女の私にはわかりません。」と作者は書く。

 そういえば光源氏のモデルとされているのは藤原道長だ。道長は自分の娘を天皇に差し出して姻戚関係を結び、生まれた孫を帝位に押し上げ自分はその摂政となって政治的実権を握る、ということをやってきた。『資本論』は読んでいないが、

「君主の最大の仕事は生殖である。」

というカール・マルクスの言葉はその通りだな、と思う。

 

 『源氏物語』を読み返して『若紫』のところを読んでいるうちに恥ずかしくなってきた。光源氏は悩み事があって逗留した寺の近くで一人の少女をみかけ、その美しさに魅かれる。そしてその少女が藤壺と血縁関係にあることを知ると光源氏は彼女に執着し、彼女が継母に冷たくされていることに付け込んで彼女を誘拐する。そして彼女がますます美しく成長すると光源氏は彼女と無理やり関係を結ぶのだが、この時紫の上が悲しみ怒った様子が『葵』では詳細に描写されている。学生の時、

「紫の上可愛い。」

と思った自分がなんだか恥ずかしく思えてくる。

 

 さて、これから私が読む『明石』では光源氏が明石の御方と出会うことになるが、この出会いは紫の上を苦しめることとなる。幼いころは快活な少女だった紫の上が光源氏のもとで精神的自由を失っていく、と瀬戸内寂聴は解説しているが、さて、男の私に紫の上の生涯はどう映るのか…。

 

 心して『源氏物語』を読もう。