サンタクローズなんているか | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 今朝ドラ女優として人気者になっている趣里の父親といえば水谷豊で、その水谷豊が若いときに出たドラマに『熱中時代』がある。『熱中時代』には刑事編と教師編があって、教師編で水谷は北野広大という小学校教師を演じた。
 
 『熱中時代』、12月放映分ではクリスマスが話の中心になる。北野は2年生のクラス担任。始業のチャイムとともに北野が教室に入ると子供たちはサンタクロースは本当にいるか、とワイワイ話している。ある子がサンタさんからプレゼントを楽しみにしている、と言うとある子はお父さんがサンタさんの振りをしてプレゼントを枕元に置いて行ったんだ、ぼくは薄目を開けてみたんだよ、という。
 北野は勤務校の校長宅に下宿していて、夕食の時校長夫婦にその話をすると校長夫婦はアメリカのある新聞の話をした。
「サンタクロースはいますか?」
という少女の投書に対して、新聞の編集者は
「サンタクロースはあなたの心にいます。」
とクリスマスの日の社説で答えた、という話だ。
 
 ところで、校長宅には北野の他にも下宿人がいる。サンタクロースの話の後、同じ下宿人であり、北野の同僚でもある女性教師が北野に相談する。彼女は低学年のクラスを受け持っているのだが、そのクラスの女子児童が父親から虐待を受けている可能性があるという。北野は同僚教師がその少女の家庭を訪問するのに付き添う。
 少女は父親と二人暮らし。両親は離婚しているのだが、どうも「逃げた」ようだ。父親は娘に暴力をふるったことは認めるが、悪いことをしたとは思っていない。少女を心配した北野はその後も少女のアパートを訪問する。
 あるとき、北野は少女がマッチを擦ってはその火を眺めているのを目にする。『マッチ売りの少女』の話を知った彼女は自分もマッチを擦ればやさしいお父さんの夢をみることができる、と思ったのだ。それを見ると北野は強い口調でそのことを父親に告げる。そうすると父親は
「夢を見たいのは俺の方だよ。」
といって泣きながら娘と抱き合う。このとき北野の声で
「サンタクロースは○○ちゃんにやさしいお父さんをプレゼントしてくれました。」
というナレーションが入る。
 
 この時私は小学5年生だったが、この話を観ていて
「本当に女の子の父親はやさしくなったのか?」
と思った。今でもそう思う。父親はこの後も娘に暴力をふるって、反省してしばらくしたらまた殴る、ということを繰り返すのではないか。現実には心ある大人がこの二人を見守り続けなければならないだろう。
 
 サンタクロースに関する伝承は中東やヨーロッパにたくさんある。困窮した家庭を救った人の話、地域の子供を見守る老人の話…。だが、いま私たちの身の回りにいるサンタクロースはそれらの伝承とは関係ない、商業主義の醜い権化だ。
 
 さて、いちいち説明するまでもないが、本来クリスマスは神の子イエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の祭りだ。キリストが生まれたのは中東のベツレヘムという町の宿屋の馬小屋だ。現在この町はパレスチナに帰属している。
 今、イスラエル政府はハマス攻撃を口実としてパレスチナのガザ地区に執拗な攻撃を続けている。病院の地下にハマスの拠点がある、といってイスラエル軍が病院を攻撃し、ハマスとは関係のない子供たちが傷つき死んでいく。そしてその
戦火はベツレヘムのあるヨルダン西岸地区に飛び火するだろう、とパレスチナを知る人たちは悲観している。
 
 何の罪のない人たちが傷つき死んでいくのパレスチナに限った話ではない。神はなぜこの現実を黙って観ているのか。サンタクロースが本当にいるなら、子供たちに平和を配達するはずだ。
 サンタクロースなんているか。