11月3日は… | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 11月3日は文化の日という法定休日で、その根拠は1946年のこの日に現行憲法が公布されたことだ。

 そもそもこの日は明治天皇の誕生日で天長節という祭日だった。祭日と言っても、1945年以前の祭日はお休みの日ではなく、「天皇陛下万歳」を叫ぶ行事のある日である。

 そして、1912年、明治天皇から大正天皇に代替わりしてもこの日は天長節だった。大正天皇の誕生日は8月31日。この日は暑いから空調のない当時は儀式を行なうのにふさわしくない、とされたのだ。

 そして昭和天皇に代替わりしてから、アメリカ合衆国に戦争で負けるまでこの日は明治節。

 この日を「明治の日」に改称るべきだ、という人たちがいる。明治時代、欧米列強に国を奪われず国を守ったことを記憶に遺すためだというが、植民地にされた人たちの痛みを無視した者の考え方であり、全く共感できない。

 

 2023年のこの日の午前、私は東京都狛江市の「狛江 小さな沖縄資料館」というところへ行った。

 

 

  この資料館は小田急線喜多見駅から南側へ5分ほど歩いたところにある。アパートの居住スペースに沖縄の歴史や文化に関する資料を展示した場所は文字通り小さな資料館だ。

 

 

 いま、この小さな資料館では米軍廃棄物パネル展を開催している。沖縄本島北部の国頭村には米軍の訓練場があった。この訓練場は2016年に閉鎖され、用地は日本に返還されたが、この広大な森林には米軍が廃棄した銃弾などの廃棄物が遺されている。日米地位協定では米軍用地を日本に返還する際、米国は原状回復の義務を負わない、と定めている。

 チョウ研究家の宮城秋乃はこの地でフィールドワークをしているときに廃棄物の存在に気付き、その問題を訴えてきた。パネル展では廃棄物遺棄に関することをまとめたパネルの他に宮城が収集してきた遺棄物の一部もビニル袋に入れた状態で展示している。

 展示を観た後、この資料館の管理人である高山正樹さんとしばらく話をした。沖縄での反戦運動に関しては知らないことばかりなので高山さんにそれを質問した。話をしているうちに、話はイスラエル軍のガザ攻撃に移った。

「このままじゃガザの子供たちは過激になってしまうのかな…。」

と高山さんはため息をついた。

 

 この資料館は入館料をとらないので、カンパを置いて資料館をあとにする。それから私は都心部へ向かった。

 

 

 

 午後、私はイスラエル大使館近くで行なわれた抗議行動に参加した。10月7日にパレスチナの武装組織・ハマスがイスラエルに対してロケット弾で攻撃を行なった。それに対してイスラエル軍は報復を始めた。イスラエル、パレスチナ双方に死者は出ているが、軍事力の劣るパレスチナ側の死者が増え続けている。人質戦略をとるハマスも非難に値するが、この紛争は19世紀末から始まったシオニストによる入植からつながっている出来事だ。

 私たちがするべきことはイスラエル政府に戦争をやめさせることだ。そう思う人たちが連日イスラエル大使館近くに集まって抗議集会を開いている。

 

 

 イスラエル大使館は地下鉄麹町駅のすぐ近く、日本テレビ通りと呼ばれる通りから少し外れた場所にあるのだが、大使館前の通りは封鎖されており、沿道に住居や職場のある人以外は通れないようになっている。集会が許可されているのも大使館から100mほど離れた小さな十字路の歩道に限られている。だからそこで参加者の発言がなされ、

「Free Palestine!」

とシュプレヒコールをあげた。

 

 パレスチナの平和を求める集会が行なわれたのはここだけではない。新宿東口前のアルタ前広場でも複数の団体が集会を行なっていた。夕方になるとこの広場は呑み会を楽しむ若者たちでにぎわう。彼らの多くは平和運動に対して冷ややかなようだ。しかし、平和をあきらめることは生きるのをあきらめることだ。私たちは声をあげ続けよう。