アイヌ文学者・知里幸恵 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 本日は9月18日。まず思いつくのはアジア太平洋での長い戦争の始まりとなった平頂山事件(1931年)のあった日だが、当然ながら他にもいろいろ出来事がある。そして本日は知里幸恵という女性の命日でもある。

 

 知里幸恵は1903年に現在の北海道登別市に生まれたアイヌ女性だ。彼女は言語学者の金田一京助に見いだされ、彼のもとでアイヌの口承文芸・カムイユカラを文字に書き取りそれを日本語訳した。そうやって彼女が編纂したのが『アイヌ神謡集』だが、それが出版される前に彼女は心臓病のため1922年9月18日に19歳の若さでこの世を去った。

 

 私が『アイヌ神謡集』を初めて手にした場所は高校の図書室だ。岩波文庫から出ているその本をみて、アイヌ語はローマ字表記なんだな、などと思った。

 世の中文字を持つ言語よりも持たない言語の方が多く、アイヌ語もその一つだ。それをあえて文字に書き記そうとすればローマ字、ということになる。アイヌ語をローマ字で記録しだしたのは金田一だ。しかし、金田一はアイヌ語には日本語と異なり子音だけの音が多い(#)ことに気付かず、たとえば大地を指す語は"mosiri"と表記していた。これを仮名に書けば「モシリ」だが「リ」の音は日本語にはない子音だけの音である。知里はその問題点に気付いて「モシリ」を”mosir"と表記した。

 知里の生きていた時代、アイヌ語はいずれ滅ぶものだと多くの人が考えており、金田一もまた滅びゆく言語を記録するべきだと考えてアイヌ語の聞き書きを行なった。そして知里はどんな思いで金田一との共同研究を行なったのだろ。

 『アイヌ神謡集』で知里は

「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。」

という言葉から序文を書き出している。その言葉から私たちは思いを巡らそう。

 知里が生きている時代、アイヌは和人とは異なる学校で学ばされた。知里は小学校卒業後、職業学校で和人女性たちと共に学んだが、そこでは様々な差別に遭遇したようだ。

 彼女の生きた時代から時が経った今でも、アイヌ差別は形を変えて存在する。いまやアイヌ語を日常語とする人はいない。

 それでも自分がアイヌであることに誇りを持つ人々はいる。アイヌは滅びない。

 

 知里幸恵さん。名前とは異なり、あなたの一生は幸せななものではなかったかもしれません。しかし、あなたの蒔いた言葉の種は多くの人の心で花を咲かせ実をつけています。今あなたにはたくさんのウタリ(仲間)がいます。私はシサム(和人)の中年男ですが、どうかあなたの仲間に加えてください。

 

(#)人気漫画『ゴールデンカムイ』のヒロインと言えばアイヌ少女・アシリパだが、漫画本ではアシリパの「リ」をほかの字よりも小さく表記している。アシリパという名は未来という意味のアイヌ語からとっているが、そのローマ字表記は"asirpa"であり、「リ」は子音だけの音である。そこで活字メディアではアシリパの「リ」を小文字で表記している。他にネットでは「リ」を半角で表記する場合もある。

 

 そういえば、知里幸恵を主人公にした映画、『カムイのうた』が完成し、間もなく公開されるようだ。