日本文化の冒涜というけれど | Kura-Kura Pagong

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"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 ヴァレンチノというファッションブランドがあって、そのCMでKokiというモデルがハイヒールを履いたまま日本間に上がり、着物の帯に使う生地を踏んだ。それが「日本文化を侮辱した」として問題になっている。

 

 

 このブログを書くにあたり、私も問題の動画を観たのだが、怒りは覚えなかった。むしろ、画像よりも効果音楽の方に、欧米人による日本人に対するステロタイプを感じたのだがそういうステロタイプは今に始まったことではない。今回の話は、だれかがネットで誰かが焚きつけて、それに乗った一部のネットユーザーが騒ぎを大きくしたのだろう。だが、そうやって騒ぐ人たちがどれだけ日本文化を愛しているというのか?

 最近、呉服屋の御隠居の知人と話をしたことがある。その人が

「春や秋の叙勲で伝統工芸の職人も褒章をもらったりするけれども、税金はもっと別のことに使ってほしい。」

と言った。着物は多くの工程を経て作られ、それぞれの工程で熟練した職人が仕事をしているのだが、そういう職人が「伝統」だけでは生活できずやめたり、後継者がいなくて技術が途絶えたり、ということにその人は何度も遭遇している。新しい顧客ができた、とそのお客さんは依然付き合っていた呉服店が廃業してその人の店に来た、とうことも結構あるそうだ。

 成人式や卒業式で着物を着る女性は少なくないが、そういった着物は外国の工賃が安いところで縫製されたり、柄がプリントだったり、ということも多い。

 「伝統」と持ち上げているだけでは「伝統」は守れないのだが、そういうことに気付かない人も多いのではないか。

 

 口では日本を愛する、と言いながらこの国の文化を愛していない人もいる。

「能楽を観る人は精神異常者。」

とテレビで発言したタレント弁護士がいた。橋下徹氏である。その橋下氏が大阪府知事になった。府知事になると学校行事での日の丸掲揚、君が代斉唱を義務付ける条例を定めた。結構な条例だと思う人も多いだろう。その橋下氏は府の行政改革だと言って文楽協会への補助金を削減した。彼や彼の支持者は、うわべでしか日本を愛せない人だ。

 

 自国の文化を愛するには、他国の文化に敬意を持たなければならない。私たちはそれができているか?ただ、欧米の文化をうらやむだけで終わっていないか?

 日本人に限った話ではないだろうが、白人文化をうらやみ、自国以外の非白人文化をさげすむ人は多い。ネットの世界では中国人の話し言葉を「アル」、韓国人の話し言葉を「ニダ」と揶揄する人がいるが、彼らが日本の文化を愛しているとは思えない。

 髪を布で覆ったムスリム女性を侮辱する男がいる。かつては朝鮮学校の女子生徒はチマチョゴリの制服を着て学校に通っていたが、スカートが切られるなどの暴力被害が相次いで学校は制服を変更した、ということが1990年代末にあった。これらの暴力は女性差別が複合した出来事であり、単純な議論はできない。だが、こういった暴力をふるう者は自国の文化なぞうわべでしか愛していないだろう。

 

 そんなことを考えながらネットニュースを読んでいたら、有名人のコメント記事の見出しを見つけた。作家の乙武洋匡が、このCMに対して「この件に傷つき、憤慨した日本人は多くいる」とコメントした、という見出しだ。

 

 

 見出しを読むだけだと、乙武は「日本人として」このCMに怒っているのか、と思ってしまう。ところが記事を開いて読むと、彼はツイッターで

「おそらく『日本文化を冒涜する意図はなかった』というのは本音でしょう。しかし、この件に傷つき、憤慨した日本人は多くいる」

と書いた後、

「だからこそ、私たちもまた他者の文化を『冒涜するような意図は全くなく』冒涜してしまうことに気をつけていかなければいけませんね。」

と言葉を続けている。上でシェアした記事は『東京スポーツ』のものだ。センセーショナルな見出し、というのはこの新聞の得意芸だが、今回の見出しは騒ぎをあおることになりかねないのでいただけない。