3.11 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災は東北地方の太平洋沿岸部に深刻な被害をもたらしたことはご存知のことだが、海岸線から離れた場所でも目立たない被害はあった。

 
 仙台は市街地の西側の高台に住宅街がある。そういうところに住む知人から聞いた話である。
知人の家は震災で傾いたのだが、知人たち一家は地震発生から1年くらいその状態でその家に住み続けた。このように傾いた家の修理にも公的な補助が出たし、知人も地震発生後の早い時期に工務店に修理を依頼したのだが、なかなか工事を始めてもらえなかった。そして工事が始まってから、知人は工事が遅くなった理由を悟った。
 
 傾いた家の修理は、傾斜の下側の土台の下を少し掘るところから始まった。掘って大地と土台の間にできた隙間にジャッキを入れて、それから慎重に家を持ち上げる。1週間ほどかかったこの工事の間、6、7人の職人が毎日家に来たという。重機を使って一気に、というわけにはいかず、それなりに人手と時間がいる工事だ。一方、この地震では多数の家が倒壊したり、倒壊の危険性があるということで解体を余儀なくされたりしたから、職人たちはまずはそういうところでの家の再建を最優先でやらなければならない。我慢すれば住めるところは待ってもらう、ということになったわけだ。
 ところで、知人は朝から夜まで仕事で家を空けるし、子供たちは学校へ行くわけだが、専業主婦の奥さんはこの傾いた家でほぼ一日を過ごすことになり、精神的にだいぶまいったようだ。
 
 仙台駅の2階、在来線の出改札があるフロアではお土産屋が多数営業している。朝早くから営業している店もあるので利用しやすいのだが、そこのスペースで震災から2,3年ほどシャッターが半開きになっていた場所があった。地震の時シャッターのガイドレールが曲がってしまい、しばらくの間修理できなかったようだ。
 
 仙台の桜の名所のひとつ、西公園近くに団子屋があったのだが、そこの建物も地震のため人が立ち入れなくなり、何年もの間空家のまま放置された。
 
 話は変わるが、家の近所で咲いている梅の花を見ていて
 
  東風吹かば においおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
 
という菅原道真の歌を思い出した。
 その時思った。これは道真が遠い西国へ左遷させられるときに詠んだ歌だ。道真は官僚どうしの勢力争いの結果左遷となったのだろうが、世の中にはなんの落ち度もないのに理不尽な理由で故郷を離れさせられた人も多数いる。福島原発の事故で避難を余儀なくさせられた人たちもそうやって故郷を離れさせられたのだ、と。