瀋陽的駅三題 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

瀋陽は中華人民共和国遼寧省の省都である。清代の初期にはこの街は盛京と呼ばれ、中国の首都だった。「満州」時代は奉天と呼ばれた。現在この街は市全域で人口1300万人、中心部に限れば人口700万人。ここは東京都と同規模の自治体である。
 さて、今年2月、遼寧省阜新市へ蒸気機関車の写真を撮りに行ったが、その際瀋陽のターミナル駅の写真も撮ったのでご紹介しよう。

 こちらは東瀋陽駅の駅舎。正面に写っている人物は私だ。
 瀋陽東駅は北京と瀋陽を結ぶ鉄道路線の瀋陽側のターミナルとして1927年に開業した駅である。「満州国」建国後、この路線の東半分は日本の国策会社・南満州鉄道の路線に組み込まれたが、もともとこの路線は張作霖の資本で建設されたという。張作霖といえば辛亥革命後、中国東北部を勢力範囲とした軍閥で、1928年に関東軍(南満州鉄道の施設警備を目的として組織された日本の軍組織)によって爆殺された人物だ。これまで私は中国の幹線鉄道網は日本や欧米列強の資本によって整備されてきたと思っていた。しかし、この路線のように中国人の力でつくられた路線もあったのだ。
 日本の近代史を語るとき、
「日本はアジア各国の近代化を促した。」
という人がいる。確かにそういう一面もある。しかし、「してやった」という目線でその国の人に接すれば相手は頑なになるだけだろう。それを「反日」とレッテル貼りするのはナンセンスだ。現に現地の人の力でつくられたインフラもあるのだから。今回この場所を案内してくれたガイドのジミーも張作霖のことをやや誇らしげに語っていた。

この駅が人の集うところだったのは昔の話だ。現在この駅はターミナルとしての使命を失い、長距離乗車券の発券業務だけを行っている。ただし、現在も貨物駅として使用されていて、構内には数多くの貨車が休んでいた。

 「満州」時代、瀋陽東駅の周辺には車両整備工場や職員住宅が建てられた。上の写真は整備工場の事務棟としてつくられた建物で、現在も中国鉄道省が使用している。

 こちらは駅近くにあった長屋。中国の都市部では次々と高級マンションが建てられる一方でこういう住宅も多く見られる。真冬は氷点下10度を下回るこの寒い土地で、すきま風とかは大丈夫なのか、と気になる。この長屋街を歩きながら、ジミーに中国社会の格差の話を延々と聞かされた。私たちが日本語で話していると、長屋の中からおばあさんが出てきてジミーに話しかけた。ジミーはおばあさんの話をしばらく聞いたあと、「謝謝(シェーシェ。ありがとう)」と言って別れた。おばあさんはジミーに「あの駅はここ何年も使われていない。」とか「この長屋の前にある樹は樹齢150年くらいだ。」とか教えてくれたそうだ。

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 こちらは瀋陽駅。「満州」時代に東京駅を模した赤レンガ造りの駅舎が建てられ、現在も使用されている。
 「満州国」の時代、瀋陽の街には日本人の手で数多くの建物が建てられたのだが、1966年から77年にかけて中国全土に吹き荒れた文化大革命の際、その多くが破壊されたという。しかし、この瀋陽駅や、満鉄系列の高級ホテルとして建てられたヤマトホテルの建物は破壊を免れた。中国共産党の指導者たちは紅衛兵と名乗る人たちを暴れさせ、鬱憤を晴らさせた一方で、利用価値のあるインフラには手を出さないようコントロールしていたのだろうか。毛沢東をはじめとするお偉いさんたちのしたたかさに対して不気味さを感じる。

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 こちらは信用の現在のターミナル、瀋陽北駅である。元々は小さな駅だったようだが、1991年から現在の駅施設が供用されるようになり、瀋陽駅にあったターミナル機能はこの駅に移った。ご覧のとおり駅本屋は高層ビルとなっていて、一階部分には飲食店が入居している。入居している飲食店には個人経営の大衆食堂もあればファーストフードのチェーン店もある。吉野家の牛丼もここで食べることができる。地元の人の間で結構人気があるそうだ。

 瀋陽北駅前は大きな広場となっている。木々はライトアップされ、洒落た彫刻もある。私が訪れたのは2月のクソ寒い時期だったが、春から夏にかけて夜はアベックで賑わうのだろう。

 
 幹線、ローカル線、様々な路線が交錯する瀋陽北駅は数多くの列車が発着する。スマートな高速鉄道(新幹線)の列車が来れば、旧型ディーゼル機関車の索く列車が出ていく。これは瀋陽北駅からちょっと南側の跨道橋のところで撮った一枚だ。