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[鳥取城跡(鳥取県鳥取市)]


16世紀半ば頃に九松山に山名氏が築城。やがて毛利氏に属し、秀吉の中国攻めの対象となります。天正9年(1581)秀吉の軍勢による兵糧攻めにより4ヶ月の籠城の末開城し、毛利から派遣された吉川経家は自刃しました。代わって宮部継潤が入りますが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に与した関係で改易となります。続いて池田長吉が入封し、城を大改修し山麓に居館の中心を据えて山上部分にも改修を加えました。元和元年に池田光政が入封。寛永9年移封となった光政に代わり池田光仲が入封しました。現在残る城郭の大部分が池田氏の手によるものだといわれていましたが、最近宮部氏の時代に大部分が構築されたという説が出ているようです。

元禄期に山上の丸の天守が落雷で焼失しましたが、以後再建されることはなく、山下の丸にある二の丸南西隅の櫓である御三階櫓が天守の代わりとなったといわれます。享保年間に二の丸、三の丸が焼失。一部再建されましたが、明治期に入り解体され、昭和18年の大地震では御三階櫓石垣などが崩落しました。近年石垣の修復や整備が進んでいます。


(訪城コメント)

鳥取城の兵糧攻めについては、大河ドラマ「黄金の日々」の映像シーンが強烈で、松の木の皮や人馬を食す場面がいまだに目に焼きついています。

訪城前日は、終日かなりひどい雨でしたが、早朝にはなんとか上がってくれました。妻からは、午前6時30分までに訪城を必ず終えることという条件提示をされていましたが、この時期そんな時間帯は真っ暗。撮影はNGですので、何とか1時間の延長を交渉しました。

夜明けと同時に駅前にある宿泊ホテルから徒歩で城跡を目指しました。ほとんど駆け足状態で撮影していましたが、あっという間にタイムオーバーとなり帰れコールが入り、山上の丸に登るのは断念しました。早朝なので当然仁風閣にも立ち寄れませんでした。

二の丸の一番高所に天球丸があります(石垣上に松の木が二本生えています)が、重機が入り大掛かりな整備が進んでいるようでした。赤土がむき出しになり、大石がゴロゴロ転がっていました。天球丸下には高校が建っていますが、ここは三の丸。校舎が石垣の上に建っていますね。確かこちらからも天球丸方面に登れたはずだと思ったのですが、進入禁止となっていましたので、中仕切門(唯一の現存遺構)の側から二の丸に入るしかありませんでした。