特別な石ラリマール | 水沢くらげのブログ

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障害と発達、奇跡的回復やリハビリの話もボチボチ書いていきたい…

私と石を語る時、外せないのがラリマール(ラリマー)です!
実は、ラリマールの唯一の産地・ドミニカ共和国に住んでいたことがありまして、当時は90年代半ば、私も石を集めていたものの、オーソドックスな石しか知りませんでした…パワーストーンもブームになり始めた頃でしたかね?

ドミニカで初めてラリマールを見た時に、この石は何なんだ?、と、トルコ石ともカルセドニーとも違う明るい突き抜けた優しいブルーに衝撃を受けたのを覚えています。

ラリマールの名前は、宝石商ミゲル・メンデス氏の娘のラリッサと現地語であるスペイン語の海マールとの造語である事は有名ですが、ミゲル氏の妻でラリッサのお母さんが日本人(日系一世)である事はあまり知られていません。
また、ドミニカ共和国の日系移民の並々ならぬ苦労も知られていません。

日本人に人気のあるラリマールですが、ドミニカにおける日系人のこと、中南米の日系移民の苦難の歴史は知っておくべきことと思います。

…私がドミニカ共和国にいた頃、日系移民40周年の記念式典があり、参加させていただいて、その頃ラリッサのお母さんともちょっとだけお会いしました(自慢)。

日系移民が始まった頃は日本は終戦直後で国内の生活も苦しく、貧困対策の一貫のような形で海外移住を奨励していました。
一方、移民を受け入れたいドミニカ共和国側は、隣国ハイチからの不法入国を防ぐために国境近くに移民を配置したい思惑がありました…その政治的取引の間で行われたのが日系移民政策です。

日本政府は「南国の楽園」「土地が保証の移民」「その日から農業ができる」等々、誇大宣伝で農業移民を募り、日本国内で食っていくのが厳しかった人々が応募しました。…その人達のたどり着いたドミニカの土地はどんなところだったのでしょうか?

…南国の楽園とは名ばかり、国境近いひどい荒れ地だったのです。私も40周年の時に見学に行きましたが、石だらけの砂漠の上、塩も噴くとんでもない土地で、農業なんて無理なのは明らか! いまその土地に残っている日系人は一人もいません…

その後のドミニカ日系人の生活苦は、推して知るべし、です。
ブラジルなどに再移民した人も多かったと聞きます。

しかし、ドミニカ共和国に留まった日系移民の方々は、不屈の努力でドミニカ人の中に入り込み、必死で働き、その正直で勤勉で真面目な姿勢で、現地のドミニカ人から尊敬され信頼されるようになったのです。
ピーマンやニンジンなどの野菜をドミニカに広めたのは日系人なんですよ!

私が住んでいた時、ドミニカ人の友人が「華橋はドミニカ人と馴染まず中国人だけで付き合って稼いだ後は国に帰ってしまうけど、日本人はドミニカ人と一緒に働き現地語を覚え一緒に働いてくれるから好きだ。信頼できる」と言っていたのを思い出します。
日系移民の方々が築き上げてきた信頼のお陰で、私もずいぶん仕事で助けられたのです…

是非知っておいてほしい話です…

私にとってラリマールは、その日系人の苦労と困難を乗り越える力、不断の努力と誠実さ、過去の禍根を流し去る寛大さ…をイメージする石なのです。
美しいだけでなく芯の強い石です。

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ちょっと写真が暗いけど…私のラリマールコレクション、もっと持っているけどお気に入りの一部です。

原石スライスと左の大粒は私のお宝ラリマール、濃い色です。ひょっとして売りに出すこともあるかも?
真ん中もきれいなルース、以前はタンブルも1000円くらいで良いのが日本で買えたのに、高くなっちゃいましたねぇ~
何粒も連なったシルバーネックレスは初めて現地で買ったもの。金具のついたペンダントヘッドも2001年に現地調達…ニューヨークテロの時でした。
右の方の色の薄いものもヒーリングには優しくて便利で好きなんです。
青緑のカルセドニーみたいなラリマールも(画像には無いけど)お気に入りです。

ドミニカに住んでいt現地語ができる強みで、時々オークションに格安でラリマール出品しています。

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