どうしてあんなに好きだったギターを突然やめてしまったのか。私はこのことで自分自身への「不信感」をずっと抱え続けていました。

 

【クラシックギターをやめた経緯】

2013年の春だったか。この頃は常に時間に追われて、ずっとイライラして自分にも他人にも厳しかった。長い年月をかけてじわじわと積み重なったものが大爆発して、何もかも嫌になっていた。

 

あんなに夢中になって大好きだったギターも、そのギターに関するWEBサイトも、数十年もの長い年月をかけて積み上げてきた「大好きで、楽しくて、大切なもの」全てをやめてしまった。

 

周りには「もういつ死んでもいいから」なんて平気で言っていた。そのつもりで身辺整理を始め、楽器も本も売れるものは全部売って、写真も一枚も残らずシュレッダーにかけて処分した。まずネットから自分の存在を消して、ほとんどの人間関係を絶った。

 

あまりにも多くのものを手放したため、そのあとどう過ごしていたのか(記録がなくて)細かいことが思い出せない。

 

もしタイムマシンがあったとしても、そんな狂気の人を説得する自信がない。音楽でも救うことができなかったのだから。

 

【ギターのない生活のあと…】

(注:ここからの話は、別のブログで書いている内容と一部重複します)

 

よくわからないまま月日は流れて、2020年の春ごろに(コロナ騒動で)仕事の量がとんでもなく増えたことがきっかけで、腱鞘炎になった。さらにそれが進行してばね指(弾発指)になった。すぐ治ると思っていたのだが、予想外に悪化して生活や仕事に支障が出るようになった。

 

2021年後半に腕や手、指の痛みがピークに達してとうとう働ける状態ではなくなってしまった。外科的治療(注射や手術)では根本的解決にならず、何度も再発する可能性が高い。しかも組織が損傷して多かれ少なかれ後遺症が残るので、この選択肢は除外。私は自己治癒力/自然治癒力を信じているので「根本的な治療法」を掲げる治療家(代替治療)を探して、ハシゴした。

 

職場の人から「かわいそうに。もうギターが弾けないなんて、もったいない!」と同情された。その言葉がずっと頭の中でこだまし続けた。ギターをやめたのはずっと前のことで、指の不具合とは無関係だ。しかし何よりも、弾けるのにギターをやめた過去の自分を責めたかった。

 

当然のように「もう一度、ギターを弾きたい。指がこうなったから、もう弾けないなんてことは絶対にない。治ったら再開するんだ。」と願うようになる。とにかく治さなきゃ何も始まらないと思って、(私にとっては)莫大な金額を治療に費やしてきた。それでも、いい結果は出なかった

 

(続く)