前回に、マズローの5段階欲求説って、おかしくない!?って事で、分析・考察していこうと思います。

 マズローの5段階欲求って何!?ってのを簡単に説明すると、1段階目の「生理的欲求」は、生きる為に必要な欲求「食欲」「生理現象」「睡眠」などだ。この欲求が満たされると、2段階目の欲求である「安全欲求」を満たそうとする。家を求めたり、安全な食べ物を求めたりする。安全の欲求が満たされたら、3段階目「社会的欲求」を求める事になる。他人との繋がりを求めたり、愛を欲しがる欲求だ。他人と繋がったら、次は4段階目の認められたい欲求「承認欲求」が来て、満たすと5段階目の「自己実現」欲求が出るというのが、マズローの5段階欲求だ。

 

 ここで、疑問点が出てくる。そういえば、赤ちゃんって承認欲求ってないよね!?生理的欲求があるのはわかる。お腹は空くからだ。安全欲求もわかる。母親がいないと不安になる子も居る。社会的欲求は、母親の愛を欲しがるって意味ならわかる。だが、承認欲求は分からない。他人に認められたい事もないだろう。しかし、自己実現はあるように思える。好奇心が赴くままに、触りたいという欲求が、小さい事だが自己実現の欲求だと考えれないだろうか!?

 だとすると、他人に認めてもらいたい欲求である「承認欲求」は満たす必要がないとなる。つまり、赤ちゃんから成長する過程に、「承認欲求」が壁として加わるのだろう。承認欲求に限っては満たすのではなく、乗り越える必要があるだろう。他の記事を読まれた方は、しつこいくらい見ている事だと思うが「承認欲求」は不要なモノだと言えないだろうか!?人間が生まれた時には持っていないモノだ。なくても困ることはない。むしろ、他人の評価に振り回されなく済むので、幸せに感じる事が多くなるはずだ。

 さらに、「社会的欲求」にも疑問がある。所属や家族を持つことは、昔は生き残るための手段だったと考えれる。家族が居ないと、将来的に困る時代、農業だと、歳を重ねるとキツくなってくる。家族が増える事でこの負担を軽減できると考えれるし、所属に関しては、仲間に入れないと、不利に働く。それも、命の危険になる程に、嫌がらせを食らったり、下手したら、殺される事もあった時代もあったはずだ。だから、所属をする事で安全を確保していたのだろう。そう考えると、社会的欲求も安全欲求に含まれると考えれるだろ。現代では、無所属でも、家族が居なくても、日本で不利になる事はない。多少、周りに白い目を向けられるかもしれないが、そんなもんだ。

 そうなると、実際は、3段階欲求なのではないか!?というのが、今回の結論となる。

 

 それじゃあ、自己実現が何か!?を考察すると、好奇心の先にある事が自己実現だと考えてる。全く興味のない、包丁に対して「もっと良くしたい」「最高の包丁を作りたい」とはならないだろう。好奇心が包丁に興味を持ち、「こうしたい」と思った時に自己実現の欲求が生まれるはずだ!

 

 元々の欲求は3つで、昔の時代に限っては、所属などが重要だったので、欲求として加わったのだろう。承認欲求は、赤ちゃんにない時点で、必要としない欲求である。つまり、承認欲求は捨てよう。

 この仮説が本当なら、3段階欲求説が誕生する。

  1段階目が生理的欲求   満たさないと死ぬからねw

  2段階目が安全的欲求   命を大切に!

  3段階目が自己実現の欲求 好奇心の向こう側

 これが、3段階欲求(仮)だ!これをデータを集めて証明するのは大変だろうなw

 

 感想としては、マズローさんを否定したいと思ってない!単純に疑問に思っただけの話しで、実際にマズローさんの事を知らないので、本当は違った考え方していた可能性もあるし、時代が変えた可能性もある。もしかしたら、僕と同じ考えを持ってた事も考えれる。実際はどんな人だったのか興味あるなって思いました。

 いったい、いつ承認欲求って生まれるのかな!?親に褒められた時なのか、他の人と比べた時なのか。そこが、ポイントになるのだろうな。

 次回のテーマは未定になります。そろそろ、ネタが無くなりそうwではでは、おやすみなさい。