父が緩和ケア病棟へ移り、
夏休み🌻の続きが遅くなりました🙇♀️
ホテルの朝食は、久しぶりのブュッフェスタイルでした
娘はだし巻き卵、ローストビーフ🥩山盛り、ヤムニョムチキン、ウィンナー、コーン、ロールパン、アセロラドリンク🥤、えび餃子、焼売、チョコレートケーキです
私は温泉卵を使ったたまごかけご飯🍚、サラダ🥗、スクランブルエッグ、ウィンナー、飲茶、フルーツヨーグルト、牛乳🥛、ケーキ、コーヒー☕️でした
温泉卵🥚で作るたまご掛けご飯が美味しく、塩昆布と少しのお醤油で頂きました
家でも作ってみよう
ホテルをチェックアウトし、姫路に向かいます。
義両親に会うのは、実に3年振りです
義母は優しく、私は大好きです。
実家の母より居心地が良い位で(母は頑固で口うるさいので💦)、以前はよく、夫がいなくても娘と二人で帰省し、泊まった程です
またコロナ禍になる前までは、毎年、義両親、両親と共に娘の誕生日会をしており、我が家に泊まりに来ていました。
数年前に義母は、自宅で祖父の介護をしており、祖父は99歳で亡くなりました。
祖父が亡くなった後、義母は眠り続けました。
数年分の介護の疲れを癒すかの様に。。
その後、義母は家事をやらなくなって行きました。掃除、庭の手入れ、洗い物、そして料理と。。
夫が帰省から戻るといつも「もう実家がゴミ屋敷で台所はカビだらけだから貴方たちは泊まれないよ」と言っていました。
そんな事を言ってないで、帰省した時は片付けをして来なさい
夫は言わなければ何もやらない人なので、夫が帰省をする度にそう伝えていました。
元々、義母は洗い物や片付け、料理は得意では無かったんじゃないかと思います。
義母は郵便局を定年まで勤め上げた方でした。
以前、料理の話をした時、「料理は祖母が作っていた(から食器類が何処に何があるのか分からないんや)」と言っていました。
義祖母が亡くなってから10年は経っていました(夫と結婚した時には既に他界されていました)。
帰省した際、食器を洗おうと台所に入るとスポンジが無く?? 置いてあるスチールたわしで恐る恐る洗いました。コップやお茶碗はベトついているので私は使う前に洗っていました。
ザルは黒カビが生え、しゃもじは常時、水を張った容器に入れてありので、ヌメッていました
申し訳ないですが、私はそのザルで茹でられるそうめんが嫌で嫌で仕方がなかったです(夏に帰省すると名産の『揖保乃糸』を食べる機会が多かったです)。。
こっそり、台所に行き、ザルやしゃもじを洗っているとすぐに義母が来て「かめへん、かめへん」と追い出します。
こっちが構うんです。。
コロナ禍になり、義両親で通っていたスポーツジムや旅行も行けなくなり、ますます家に引きこもる様になってしまいました。
同じタイミングで義母はよく転ぶ様になりました。
一度、義両親がTVが故障し、家電屋さんに出掛けた際、エスカレーターに乗った義母が転びそうになり、前にいる義父を引っ張り、二人共、エスカレーターを転げ落ちた事がありました。
その話を聞いた時、私は何で手すりを持っていなかったのか、何で転びやすくなっている義母の後に義父は立たなかったのか、と思ってしまいました。
起きてしまった事は仕方がないので、エレベーターや外出先の階段は転倒する危険があるので必ず手すりを持つ様に伝えました。
義母はエレベーターからの転落で義母は入院をしました。
入院をして分かったのは脊椎が数カ所、圧迫骨折をしている事と骨粗そう症が進んでと言う事でした。
退院後は歩行困難となり、杖が必要になりました。そして介護認定を受け、要支援になりました。今はデイサービスに週2〜3回行っています。
前置きが長くなりましたが、そんな理由で今回は実家に泊まらず、少し離れた神戸三宮に宿泊したのでした。
姫路駅に到着
帰省したら義両親から「焼き肉に行こうと思ってる」と聞いていたので、焼き肉は食べずにいました
迎えに来てくれた車を見ると、義母さんの姿が見えません。
私「義母さんは?」
義父「焼き肉屋さんで待っとー」
早っ
急いで焼き肉屋さんに向かいます🚗
義父「着いたでー」
私「 ここは前に一度来たステーキ屋さん」
焼き肉屋さんはステーキ屋さん🥩の事でした
皆んなで美味しくステーキ🥩をいただきました
ハンバーグや海老フライもあり、美味しくてお値打ちです
義母さんは杖を付いてはいましたが、介助がいるのら車の乗降りのみ。
歩くスピードが思ったより早く驚きました。
思ったより、大丈夫で良かったです🍀
ランチ🍽️の後はファミレスに移動して、
たくさん、近況を話しました
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