わたしは幼い頃虐待にあっていたらしい。
らしい…っていうのは、当時はそれが異常と思えなかったから。

他の家庭のことはよくわからなかったし、虐待という言葉すら知らなかった。





幸せだった日。



父と母と姉妹と遊園地に行ったり、動物園に行ったり、夜みんなでお祈りしてご飯を食べたり、手作りのお菓子を作ってもらったり。


それが崩れた時のことははっきりと覚えてる。

下から聞こえる夫婦喧嘩。
父から叩かれ、離婚すると叫ぶ母。
わたしたちの寝室に駆け込んで鍵をかけた母はあおあざだらけだった。
落ち着いてきて、みんなで母のあおあざに冷たい野菜を切って湿布がわりに貼ってあげた。

それからもう一度喧嘩があった。
前回と同じ感じで、また母がわたしたちの寝室に逃げ込んだ。

出ていくんだと言っていて、わたしはなんだかワクワクした。
冒険に出かけるような気持ちでいた。

母はその日は出ていかなかった。





しばらくして、母がお皿やお椀を新聞紙でくるんでいた。
よくわからないけれど、楽しくて手伝った。


わたしたち姉妹におもちゃを買ってくれた。
わたしは自転車かゲームのソフトかを買ってもらった気がする。
そして母と姉妹でお風呂にぎゅうぎゅうで入った。




つぎの日、母は白いワゴンに乗って出て行った。


ワゴンのエンジンがかかった瞬間、なにがおきているのかわかった。
母はわたしたちを置いて出て行くのだと。
ニコニコ笑いながら新聞紙にお椀を包んでいたわたしはなんと馬鹿だったのか!



わたしはドラマのように走って追いかけ、こけた。
泣いた。
辛かった。
母を嫌っていた祖母は泣き止まないわたしを叱った。


母がいなくなって、変わった。
祖母がご飯を作って、わたしたちはそれぞれできるお手伝いをするようになった。
わたしは皿洗いだった。


祖母が亡くなった。
その時は母が来てくれた。

祖母が亡くなったことから、年金で払っていた一軒家には住めなくなり、団地に引っ越した。

ご飯は父に作ってもらったりもしたが、自分たちでなんとかすることの方が多くなった。
お祈りもなくなって、ご飯がない日もあった。

電気やガスや電話はしょっちゅう止まった。
インスタントラーメンを生で食べたり、しまいにはなにもなくてきな粉をほおばったりした。


たまに母が会いにも来てくれた。
母には新しいこどもができていた。
下着などを送ってくれた日もあった。
服などはぶかぶかのおさがりか、つんつるてんな服ばかりだったので、近所の人に靴やズボンをもらったこともある。
間違えて買ってしまったからと言われたが、あきらかにその人の子とサイズが違いすぎることはわかっていた。
姉に、情けをうけて恥ずかしいと言われ、しょんぼりした。




ある日父が惣菜を買ってきた。
あきらかに人数分ないとわかったわたしは、お腹がすいてないからいらないと言った。



すると叩かれた。
激しく2~3度叩かれ、わたしは泣いた。

『一生懸命働いて買ってきたのに食べんとはどういうことか!』

父はまた叩き、そこらじゅうのものを投げ飛ばした。

わたしは怖くて怖くて、ただただ泣いていた。

しばらくすると、落ち着いた父が優しい声で謝ってきた。
安心した。




夜、わたしと妹は父と同じ部屋で寝た。
父とわたしはなぜか同じ布団だった。
父は、足を絡ませて寝るのが好きだった。
そして、たまに体を触ってきた。
ふざけながらだったが、あそこをじかに触られた時は気持ち悪かった。
でも嫌われたくなくて、わたしは笑いながら『もーやめてよぉ』と嫌がった。
それが精一杯の抵抗だった。


母がいない。
祖母もいない。
反抗期な姉と妹と父。
父に愛されたかった。
でもこういう愛され方はされたくなかった。
ただ抱きしめてくれるだけでよかったのに。



今でも裸になったり、愛し合ってる途中で思い出して気持ち悪くなることがある。
あれが普通じゃない行動と知ってしまったからだ。

知らなければよかった。
なければよかった。



わたしが小学三年生の終わりの頃、病みに病みまくり、母の元へ行きたいと言った。
そしたら、思いのほか簡単に話が進んでしまった。

母に置いていかれた…捨てられた気持ちがわかる分、父を捨てることにひどく怖くなった。
同じ思いをさせてしまうと。

夜、父が寝室に入ってきて、
『行くとか。』
と聞いてきた。
布団を頭までかぶり、泣きながらうなずいた。



母の家にうつってからは、服もちゃんとしたものを着れ、ご飯も三食あって、とても幸せだった。


たまに父たちの家に遊びに行ったりもした。

それからしばらくして長女もうつりこみ、妹もきた。
二女だけが父の元で暮らした。


17で妊娠、出産し、
18で寮付きの水商売に入った。

人の顔色ばかり見ながら八方美人がしみついていたわたしには最高な仕事だった。
お酒も好きだったので、なおさら。


だが、アルコール依存症になり、水商売はできなくなった。

精神科に通うようになり、息子は発達障害と言われ、育児ノイローゼにもなった。





置いていかれるのは嫌だ。

置いていかれるのは怖い。

朝目が覚めて、隣に人がいないと辛い。





トラウマとはなんぞや。

昨日はあまり過去に縛られなくなったと書いたが、このことは心と頭の中にずっとある。

消しても消しても消えない傷。

上からどんなに幸せを塗っても浮かび上がる。




いつか許せる日がくることを願って。





わたしは愛されたかった。

息子を愛することで、昔の自分を薄くすることができる。
小さい頃のようにペットを飼い、観葉植物をおき、動物園などに行く。



息子を育てながら、自分を育てなおしている感がある。

こどもに依存するのはあまりよくないだろうが、まぁまだ5歳児だ。
いっぱい抱きしめられるのも今だけだろう。



このblog、後で消しちゃうかもな。
わたしの中で一番でかいシコリだから。
なんだか辛い。
読み返さないでおこう。


鬱でもなく、ハイでもない。
ただ、
なんか
寂しい感じ。