多分わたしは、自分が幸せになることが許されないと信じきってしまっている病気だと思う。

なにかがうまくいっていても、リスカをしたり騒いだりしてすべてをぐしゃぐしゃにしてしまう。
そしてこう思う。
やっぱりわたしは世界一の不幸者だと。

それでまた安定すると、落ち着かなくなる。
また不幸のどん底まで行くんじゃないかと。
きっとそうだと。
そして自ら不幸を招く。

その繰り返し。

増えるのは痛々しい傷痕。
首にも何針もの縫い跡。
左手は見るにも痛々しいリスカの跡。
何十針縫っただろうか?
一度40針縫った時には医者に『新記録だよ。』と言われたことすらある。

今では笑い話だが、
またいつそうなるかという不安はたえない。

だって不幸じゃない自分なんていないと信じこんでいるんですもの。
きっと続かないと思えば、不幸になった時気が楽だと。

いつのまにかそう思うようになってしまった。


今はたえている。
踏ん張っている。
次なにか騒動をおこしたら息子と暮らせなくなるからだ。

わたしは生きているというよりは、生かされている。
この小さな息子に。


今はそれでいいのだ。
きっと生きていれば、なにか素敵なことがおこるかも。
そう素直に思える日がくるのを、待ちに待ちながら毎日を生きている。

だけど切りたい。
切ってみんなに心配かけたい。
かまってほしい。
わたしに注目してほしい。

切りたい夜もある。



でも切らない夜を過ごす。


その一日一夜が

わたしにとっては大変なものなのだ。


お酒も飲みたい。
だけど我慢する。
酒で何度警察にやっかいになったことか。
精神科に入院もこりごり。

飲まない、切らない、この人生。
わたしには物足りない。
当たり前のことが当たり前に感じない。


そんな夜は、睡眠導入剤も効きにくい。


だからblogを書くことにした。
解離が激しいわたしは、ものごとの順序がたまに入れ違う。
言われたことを違う意味や違う時期で解釈したり、同じものを忘れて何個も買ったりしてしまう。


blogに書くことによってメモにもなる。


だけど明日にはblogのことは忘れてたりして。

なんてことも、
ありえなくない人間なんですの。