ちょっと聞いてほしい。
"台湾の友人が何を言ってるか分かりたい"を理由に2018年から2020年の3月まで中国語の教室に通ってたんです。
会社から近い教室を見つけ、気が変わる前に…と申し込んだ体験入学。
教室に向かうエレベーターの中では旅行気分♪だったけど、廊下に出るとそんな気分消え失せましたよ。
廊下の一番奥に見える受付。
距離があるのに分かる。
こちらを見つめる笑顔が、怖っ。
廊下を走り抜け聞こえてきた「ニーハオー!!」にびびったのを覚えてる。
私、完全に怯えてた。
受付を済ませて、個室に通され、先生と対面になる。
見て学ぶのは見学で、体験は…"実践(戦)"。
コミュニケーションとは何か忘れるくらい一方的な弾丸質問とレベルチェック。
まだ入学前だから笑顔で誤魔化せ!とばかりに笑ってたら、相手もプロ、そんなのすぐバレる。
逃げてぇなぁ~。
"自己紹介までが体験です"と書かれた笑顔と片言混じりの日本語で精神ごとゴリゴリ進められた体験入学。
無事に生きて帰還できた!ということで一週間に二回のマンツーマンを契約。
これが"自分地獄"の始まり。
体験入学から一年経っても授業中に顔を両手で塞いだり、頭をかかえたり、分からないことに泣いたりの繰り返し。
会社では冷静でほとんど無表情の私なのに、今までどこにあったのか分からない感情がボコボコ沸き上がってくる。
私はこんなに弱かったか。
私はこんなに我慢に弱かったか。
私は…私は…。
たくさんの"私"が疑問を叫ぶ。
楽しくないのは私のせい。
仕事と教室の両立が上手くいかないのは私のせい。
覚えられないことは私の努力足らずのせい。
私はずっと頑張ってるのになんで!!
繰り返す中で生まれた"違和感"爆発した。
何故イライラうるうるしながら授業を受けなきゃいけないの?
私が先生に合わせているから?
アルバイトには高級すぎる学費に言われるがままテキストを押し進めるだけの授業で本当にいいの?
マンツーマンの強みは"私が望む授業"ができることなのではないの?
という気持ちが、ある日私を動かした。
"日本人なら知ってて当たり前だろう"のマニュアル通りの思い込みや、英文に置き換えた例えなど、勉強を投げ出して生きてきた私には激しく分かりにくい。
続けていくためにも"私が"分かる授業をしてほしいと偉い人にお願いした。
先生を指名をしてないからどの先生にも同じ対応を求めた。
まだ何もレベルにも達してない生徒のワガママに合わせる先生側は本当に大変だったと思うけど、お陰で授業がめちゃくちゃ楽しくなった。
気付けば雑談もできる余裕ももてるようになり「教室から楽しそうな笑い声が漏れてる」と言われるようにもなった。
そのときの経験が今年(2021年)1月と3月に受けた一級と二級の試験にもいい影響を与えてくれました。
知らないことだから…と従うことも大事で当たり前だけど、時には主張もしないと本当の意味で学べないし自分のためとは言えない。
何も動かない自分から変わりたいと思った。
最初の理由とは大きく変化したけど、きっとそうなることを望んでいたからお金も時間もかけることを選んだ。
私が私のために初めて選んだこと。
昨年、コロナのせいで明日のことが不安定になりお金の面で卒業を選んだけど、緊急事態宣言直前の授業では受講を継続しないことを責めず私のことばかり心配してくれる先生たちに泣いた。
先生たちの方が心ない人たちの言葉に傷つけられてないか心配だったけど、たくましさの塊なのか、苦労の数が違いすぎるのか、私が中途半端に心配するべきではないと思えた。
いまも先生たちは元気だろう。
連絡したらまたオール中国語の文章の返信に解読するのが二日かかっちゃうから、心で問いかけておこう。うん。
まだ楽しいは続いてるよ、先生。
ごめん、めっちゃ長い話になった(笑)