週末にこの本を読みました。
朝比奈秋さんの『私の盲端』です。
そして、今日、この記事を読みました。
医師である朝比奈さんは、若い医師をへき地医療に携わらせるというプログラムの為に、青森県の深浦町に派遣されました。
そこでの体験を基に、デビュー作「塩の道」が生まれたのだそうです。
何となくそのことは知っていて、私の住む青森県のどこなんだろう?と思っていました。
小説を読み始めてすぐに、強い訛りのある台詞から、私の近くではないのだとわかりました。
(青森県人はみんな津軽弁と思っている方も多いのですが誤解です‥)
死んでいく人たちに死亡診断書を書き続けるような、お看取り病院から来た中年医師の伸夫が、
無医村に近い地域で生きている人たちの生き方、死に様を目の当たりにする。
ざっくり、こんなお話です。
(しかし、何かに目覚めて心を入れ替えて生きることを決意するというような物語ではありません。)
なぜだか朝比奈さんの小説はいつも、私の求めているタイミングで、すぅーっと現れます。
少し前に、私は母を看取ったときのことを思い返していました。
もう母は食べることもできなくなっていて、「痛い、苦しい」ぐらいしか言えず、内心もうお別れは近いのだと覚悟をしているときのことです。
狭い部屋に、私、弟と孫3人、母の妹や姪っ子も一緒に居て。
ありあわせのご飯をテーブルに並べて。
母のベッドの横で、ワイワイとご飯を食べました。
母が少し苦しそうにしていても、
「ババごめんね〜
みんなでご飯食べるね。
ババもみんながいて喜んでいるよね」
って言いながら。
明らかに死に向かっている人の横で、みんなで普通にご飯を食べる。
もしかしたら変なことかもしれない。
でもそのとき私は、すごく穏やかな幸せな気持ちでいたんです。
「みんなが集まって楽しく過ごせているのは、母のおかげなんだなぁ。幸せだなぁ。」と。
今もそのときの風景や気持ちを、懐かしく大切に思い出しているのです。
もう二度と戻って来ない、幻のような幸せな時間を。
「塩の道」にはそれに少し似た情景が出てきます。
肺癌の末期で、もう最期を迎える苦しみに耐えている年老いた祖父の周りで、子供夫婦も孫たちも普通に食事をしている。
伸夫が訪れ処置を施す前も後も、普通にその日常は続いていく。
お看取り病院と言われる病院で多くの死にゆく人を見送ってきた伸夫は唖然とその様子を見る。
そして、この地域の人々がそうして死を受け入れているのだと知るのです。
塩の道では、私のときよりももっともっと生活の中に生死が普通に存在しています。大きな大きな時間の流れの中に、逞しく人の営みはあり、生死も淡々と受け入れられているようでした。
このシーンを読んだときに、あぁすごい。
消えていく命にその人の生き様を見て、見送る人たちはそれを飲み込むようにその先を生きていく。
まるでどこにでもあることのように、ごく自然に。いや、きっとどこにでもあることなんだ。
こんな物語に巡り会えてよかったなぁ。
いいときに巡り会ったなぁと思いました。
母を自宅で、延命治療無しに見送っていなければ、この小説の読み方も違っていたはずです。
読んでも何も感じなかったかも。そもそも出会わなかったかもしれません。
朝比奈さんの、物語が降りてきて、医師としての仕事が手につかなくなるくらいに取り憑かれて書かずにいられなかった物語たち。
これはその最初ですか?
もっともっと読みたいです。
表題作の「私の盲端」については、また今度。
長々と、凄い勢いで書いてしまいました。
ひとりよがりな文章でごめんなさい。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
おまけ。
今日の帰り道です。
季節が進んでいくのか、空を見るとわかりますね。
皆さんにとっていい一日だったら嬉しいです。
みゆきん