※筆者の、「クトゥルフ神話TRPG」の“ゲームマスター”の体験をもとにした記事です。

 テーブルトークRPGの楽しみ方に触れながらお話ししていますが、

 これと異なる楽しみ方を、否定するものではありません。

 

 

テーブルトークRPGは、

ゲーム機を使わず、人間同士の対話によって進行するRPGです。

 

このゲームの特徴は、

参加するプレイヤーそれぞれにとって、

ゲーム内で起こる出来事への理解が、とても重要になるということです。

理解が極端に乏しければ、プレイヤーの演じるキャラクターは、

ゲーム内の登場人物と何を話せばいいのかわからなくなります。

また、事件などの出来事に対しても、何をすればいいのかわからなくなります。

要するに、何もできないのです。

 

一方では、プレイヤーはゲームのシナリオ(物語)を楽しみながらプレイします。

事件の真相や人物の正体がすぐにわかってしまうと、

せっかくのシナリオを味わうことができません。これは、映画やドラマと同じです。

 

なので、ゲームの進行を行う“ゲームマスター”は、

プレイヤーがゲームを楽しみやすいように、

彼らの理解度を調整し、管理していく必要があります。

シナリオ中に用意されたある展開(イベント)を楽しむためには、

プレイヤーがどこまでの情報・ヒントをもっていなければならないのか、

といった観点でシナリオを読み込み、入念に準備をすることになります。

どんなに魅力的な物語であっても、プレイヤーがついてこなければ、何も伝わりません。

 

プレイヤーに与えた情報やヒントを上手く管理できない、という事態は簡単に起こります。

ネタバレよりも、上手く理解が進まないことの方が圧倒的に多いです。

彼らのゲーム内での行動は、時にはまったく的外れな場合があります。

あるいは、こちらが出した情報を信用しなかったり、誤解したりすることがあります。

獲得したヒントをもて余して、可能性の海で溺れてしまうかもしれません。

 

そういった事態を避けるために、ゲームマスターは様々な配慮を行います。

 

前提として、ゲームマスターとプレイヤーにはある程度の信頼関係が必要です。

また、プレイヤーがシナリオを楽しめる条件として、

 ①手がかりを得る方法 ②信頼できる事実は何か ③事実から何が推測できるか

の3点について、ある程度主体的な判断ができることが上げられます。

 

例えば、プレイヤーの友人と連絡がとれなくなっている、といった場合。

①最後に友人に会った人に聞けば、何かわかるかもしれない。

②聞き込みを行ったところ、友人は、とある怪しい団体について調べていたらしい。

③友人が消息不明になったことと、その団体は関係があるのではないか。

 →①’団体について、インターネットなどで調べてみよう。

  ②’団体は、会員を募集している。会員のなかには、行方不明になった者が複数いる。

  ③’団体は、反社会的な行為を繰り返しているのではないか。

   →①’’団体に潜入して、調査してみよう。

    ②’’・・・

 

このように、この3点はテーマを変えながらシナリオを進行していくので、

ゲームマスターは、それらが上手く機能するように、こっそりサポートしていきます。

・手がかりを得るためのヒントを示す、というのは基本的な手段です。

 (例)プレイヤーは、有益な情報をもたない人物Aとの接触を図った。

   Aは情報を提供できないが、代わりに、有益な情報をもつ人物Bを紹介する。

・疑ってもどうしょもない事実は、その情報源を信用あるものにします。

 (例)警察など、行政機関からの情報。

・プレイヤーが推測しうる内容を、シナリオの展開にとって都合のいいものにします。

推測は、プレイヤーのなかから生まれてこなければならないのですが、

情報を出す順番を工夫することで、それをある程度コントロールすることができます。

人間は、事実と同時に、その背景や隠された意味を認識していくからです。

(ただし、この能力は人によってかなり差があります。)

 (例)人物A、B、Cはそれぞれ旧知の仲だが、Cは事件に巻き込まれて死亡した。

   プレイヤーはそのことを知らずにAと会って話すが、AはCの話題に触れない。

   その後、プレイヤーはBと会って話をし、3人の仲のことを知る。

    →たとえ黒幕がBであっても、とりあえずはAの方に疑いの目がいく。

     (プレイヤーが“賢くも”最初からBに疑いを向けてしまうと、

      「Aは実は怪しいのでは!?」と思わせる機会が損なわれるので、

      まずは、Aと話すように誘導する。)

 

ゲームが上手く進めば、

プレイヤーは、シナリオに主体的に関わっていく楽しさを感じ始めます。

物語の展開を通して、自分の推測が概ね当たっていることを確認し、

真相を解明するために足りないピースが何なのかを考え、先の展開に期待を抱くでしょう。

彼らは、ゲームを続ける動機を、より強いものにしていきます。

そこに、ドラマチックな展開や魅力的な登場人物が加われば、

そのゲームは、とても豊かなものとなるはずです。

 

 

 

さて、ここまでの話を省みると、

このようなゲームマスターには、倫理的な葛藤が生じるのではないか、と想像できます。

それは、プレイヤーを自分の手の平で転がしたいと思ってはいないか、という疑問です。

 

本来、人間が人間の自由を弄ぶことは許されない、とぼくらは思っています。

 

なので、ゲームマスターに残された道は2つあります。

1つは、ゲームを楽しむための手段として、それを許してしまうこと。(倫理観の修正)

もう1つは、コミュニケーションの本質のようなものに、立ち返って考えることです。

言葉や行為によって他人に影響を与えることは、

多かれ少なかれ、他人に特定の思考や感情を期待することに他ならない、と考えてみます。

そのために、ゲームマスターはより効率的な方法を研究しているのであり、

他人の自由を弄びたいわけではないのだ、と思うわけです。