この世には信仰においては2つの種類の人間しかいない。 | kupptのクリスチャン理学療法士ブログ

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現在、病院で外来や急性期のリハビリの仕事をしています。
聖書のこと、趣味の野球のこと、日々の社会ニュース、など
徒然なるままに。

この世には信仰においては2つの種類の人間しかいない。
1.神様を信じる人
2.神様はいないと信じる人
である。と聞いたことがあります。

信仰を持っている人と持っていない人ではなく、また、
「2.神様ははいないと知っている人」ではないところがポイントですグッド!
1の人にしても2の人にしても、全員が何らかの信仰を持って生きているのです。
1も2も語尾が信じる人になってますね。


「私は信仰なんてたいそうなものは持っていない。」
「信仰なんて、あるか分からない物を信じるなんておかしい。」
「神様なんかいない。信仰なんていう言葉自体が不気味だ。」
と言っている人も、神様がいないと信じる信仰は持っているのです。

そして、2については色々なパターンがあり、何が一番大事で頼りにしているかが違うのです。
(これが一番、という神様的な存在がある。)

お金が一番大事、名声・社会的な地位が大事、家族が大事。
それぞれもちろん大事ですが、神様を除いては本当の一番ではありません。

自分が死んだら、天国(地獄)に持っていけないものばかりです。
人類が滅亡したら、地球が無くなったら無になってしまうものばかりです。
いくら有名人でも芸能人でも、死んで百年もしたら忘れられてしまうのです。

元気な人も「明日死ぬとしたらどうなるんだろう?」と考えてみてください。
ガンと宣告されたら考え始めるのではありません。
全員がいつかは迎えるものですから。
そうすると、神様が一番であり、自分にとって絶対に必要なものは、「永遠の命(天国に行けること)を神様から頂くこと」以外には考えられません。


「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう」
(マルコの福音書8:36)。
ここで言われている命は、この世を生きる生命という意味でもありますが、
神によって与えられる「永遠の命」について言っています。
この永遠の命を受け損じたら、この世で何を得てもむなしいということです。