自分の心を見られる神様 | kupptのクリスチャン理学療法士ブログ

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クリスチャン&PT(理学療法士)のkupptです。

現在、病院で外来や急性期のリハビリの仕事をしています。
聖書のこと、趣味の野球のこと、日々の社会ニュース、など
徒然なるままに。

ルカの福音書15章
「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、
その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで
捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』
と言うでしょう。

イエス様の話を聞きに自分から近寄ってきた人々に、イエス様はたとえ話をされました。
はじめは、「見つけてもらった羊」の話から、同じように「一人の罪人が悔い改める」と、という話のつながりが飛躍しているな~と感じました。
羊と罪人がイコールなのか??って。
でも、主人を見失ってしまい、助けを呼び求めて泣いていた(鳴いていた)という点で共通だなと感じました。
自分で家(牧場)に戻ってきたり、自分の命を助けることはできないけど、羊を飼う牧者と人生の導き手(イエス様)を必死に求めています。
行ないの素晴らしさではなく、ただ迷っている存在であっても、その人(羊)の主人を求める思いを見て、神様は喜んでくださるのです。

何もいいことはできないけれど、「神様のところに帰って、一緒にいたい。」と思う気持ちを大切に。
祝日だけど、明日から仕事。ゆっくり休んで、明日から頑張ってきます