脳出血で半身不随、脳血管性認知症と

なった母。リハビリ病院で療養中。

1人家に残された父は 

この頃はまだわからなかったが

アルツハイマー型認知症を発症し

ずっとずっと怒っていた。


私が幼い頃の家族構成は

両親、兄、祖母、私の5人家族だった。



母の話によると

結婚当初から祖母に

ひどくいじめられ続けてきたそうだ。

母がとにかく

“きれいなだけで何もできないから” と。



なんですと?

自分で

「わたくしきれいだからいじめられたの」

ですか?

よくおっしゃる。

私が物心着いた頃にはすでに

ただの太った女性だったのに。

でも何もできない事は認めているらしい。





しかし

母による子供の洗脳は

いたって簡単だ。

祖母は全ての悪の根源だと思っていた。




たまに父の妹(私の叔母)の家に

母とケンカをして逃げることはあったが

一年のほとんどは一緒に生活していた。

しかし祖母との接点は

ほとんどなく距離があった。

可愛がってもらった記憶もない。



単なる同居人。



家族としてちゃんと話もしたこともない。

狭い家の中ですれ違う時も

少し緊張していた。



夕飯の時は一緒に食べていて

用意が出来たことを伝えに行くのは

私の仕事だった。




呼びにいって早く戻ってこないと

母にあからさまに嫌がられた。

祖母は母をいじめた人なのだ。

そんな人に

優しくしてはいけないのだ。





たしかに祖母もいじわるではあった。



私が小学校高学年の頃の話だ。

夏休みの昼下がり。

家には祖母と私だけの時だった。




「くぽ子ちゃんが、冷蔵庫の

 麦茶のポットに線を引いて

 飲ませないようにしているから

 そっちに行きたい。」




と父の妹(叔母)の家に

しばらく世話になる手筈をつけるため

電話をかけている姿を目撃したことがあった。



な、な、なんですと?

滞在させてもらうために

仮にも孫を悪者に?

そんな妙ちくりんなウソを?



冤罪もいいところ

嘘ですやん!

自分の事を、全くのウソで悪く言われて

親戚の叔母さんに報告されている!



子供なのでどうすることもできず

とにかく胸がドキドキした。






当然、祖母に麦茶を飲ませない為に

減った量がわかるよう

線なんか引いていない。

あったとしたら麦茶ポットの柄だ。




祖母にとって私は

“ 憎いあの女が産んだ “  女 “なのだ。


嫁が憎けりゃ娘も憎い




兄のことは普通に可愛がっていた。

ずいぶん古風な

嫁姑いじめのまんがみたいだが

実際の話だ。




あまりに理不尽なことだが

自分も祖母から悪意を向けられることで

やはり母はいじめられていたのだろう

と思える

裏付けにもなった。



でもよその家を知らないから

そんなものかな

とくらいに思っていた。