☆『内なる平和・聖なる核(魂)』

 

一般に、いわゆる「覚醒」における様々な手法と段階が挙げられていますし、おとだまでもたくさんの癒しやエクササイズを行ってきました。次元上昇に伴って、自分の波動が上がっていくためのものですね。

そもそも「次元が上がる」というのはどういうことでしょうか?「意識が上がる/波動があがる」というのはどういうことでしょう?

密度の濃い3次元からより精妙な5次元の世界へと移行していくのですから、それに見合った意識状態でなければ、その新しい世界にはマッチしません。

高い意識/波動ということは、簡単に言えば「無私」という事になります。もっと言えば、「我欲」のない状態です。より調和し、共有し、尊重し、敬愛しあえるような事ですね。つまり、あるものに対して「感謝」と「喜び」で享受するという共通認識がある状態です。

 

こういう事からも『感謝しよう』という教えは通念の理解としてあるようです。

ただ、これが「今ある<物事>に対する感謝」に向けられている。全くもって間違っているわけではないし、あるものに感謝するのは大事な事です。しかし、私達が目にするもの事は「結果」であって「原因・源」ではない。そもそも結果として出て来たものしか見えてない意識の状態では、本来感謝すべき事に十分に感謝できてないのではと思います。

どういうことかというと、結局は「物質世界」に意識が向いたままの心の状態で物事を観ているのですから、全ての大元ともいえる根源的な力や知恵に対する感謝に至っていないということです。出て来た料理に「おいしいね、ありがたいね」とは言っているけども、その料理を創った人、ひいてはその食材の元となっている農産物の生産者さん達、もっと言えば、それに命を与えている「この世のありがたい仕組み」に対しての感謝が足りてないという事です。

意識が高くなるということは、物事の本質がわかるようになるということですから、表面的な状態だけではなく、もっと深い部分、根源的な部分へのつながりが理解でき、そこに対する感謝の氣持ちを向けることができるということになります。

ということは、結局、私達はすべてつながっており、地球のみならず宇宙的存在達や惑星(惑星意識)など、見えるもの見えないもの全てにおいて繋がりを持って「生かされている」ということがわかるということです。そうなったら、「自分が人を傷つける、地球を傷つける」などということがいかに愚かな事か分かります。

 

今この地球上では「輩」とその輩に利用されている輩たちがあらゆる手を尽くして、この世界を分離させ混乱を引き起こそうとしてます。彼らのボスがいなくなってから、本当に好き勝手にやっているようです。組織的な動きがあるようで結構むちゃくちゃな氣もしますし、決してスマートとは言えない暴挙に出ているように見えます。言ってみれば「断末魔の叫び」のようにも見えます。

それだけ、地球には高次のエネルギーが入って来ていて、変化が確実に起こっている証拠とも言えます。世間で起こっている本当に理不尽な事に対して、いちいち腹を立てたり、げんなりする反応を止めないといけません。「ああ、輩のあがきだ」とすることです。

そして、それに翻弄される人達が集合意識に与える「負のエネルギーの渦」に巻き込まれないようにすることです。あえて、「古い集合意識からの離脱が必要」だと言いたいと思います。長年蓄積されてパターン化した部分が集合意識にあります。

それは、苦しみ、不足、不安、欺瞞、偽善、権力志向、独占・・・我欲・・・によって、苦しめ、苦しめられるという情報のパターンです。これは新しい世界には全くもって不要です。

 

自分の波動を引き上げたいと思うのであれば、色んなエクササイズも大事かもしれませんが、最も重要な事として『内なる平和』を挙げたいと思います。

物や状況に依存し、「こうだったら安心」というのではなく、自分の中にある「平和な場所・安堵の地」があることを思い出しましょう。

それは、現実逃避ではなく、霊的な現実の世界としてずっとずっとあるものです。

そこには「我」が入りこむ余地がありません。物質世界という、言ってみれば「まぼろし」の世界ではなく、物事の元、始まりとつながっている領域です。

「内なる平和」なくして、次元上昇はありえないと思っています。一人一人がそれを自分の中に見出す事は、最強の力となります。その輩には到底手が出せない領域ですね。

ものごとの「真」がある場所であり、自分の本質がある場所です。それがしっかりと自覚できると、この世界でまかり通っている成り立ちがいかに妙かがわかります。それをユニークさだと表現する人もいるでしょうが、正直、もうそれは度を超えています。こんなに苦しむ人が多いのはおかしいでしょ?学び方ももっとあるでしょ?と神様に言いたい(^^;)

でも、これは自らが招いた結果だと言われればそれまでですから、それなら、自分が持っている最大限のパワーを発揮するしかありません。

それは、「内なる平和」から生まれるものだと思うのです。

 

地球人として長い歴史の中で「争い」のカルマを繰り返してきました。それは終わりにしないといけません。何かを獲得するにも、争いを用いて、人よりも多く所有することが大事だと思ってきました。でも、宇宙はそんな風にはできてない。もともと神様はそんな風に世界を創ってない。

忘れてた・・・忘れさせられていた・・・。力あるものこそが美酒を味わう世界だと信じ込まされてきた。これだけ苦しみ、血と涙が流れても、そう信じて来た。信じ込まされてきた。

全部嘘ですね。本来の在り方と大いに違います。

あまりにも争い癖があるために、「内なる平和」などというと、「やられるだけ」という発想になる人も少なくないかもしれません。でも、波動という観点から言えば、内なる平和を見出せる人と輩は相容れないので、もうすでに「住む世界が異なる」のです。

今、この世界は二極化しています。盛大な二極化ですね。テレビやネットで流れる嘘や論争に対して、最初は怒りを感じていたものの、そのうち関心がなくなっていきます。どっちにしても「争い」の中で起こっていること。

 

自分のハートの奥の奥に入っていく、その過程で色んな想いや感情がよぎる。

でも、それをそよ風と一緒に流して、自分の中の清らかな場所へと入っていく。

ずっと、ずっと、入っていく。深呼吸をしながら、ゆっくりと、まっすぐに・・・

たくさんの考え、反応・・・すべて脇に置いて・・・奥の奥へと入っていく・・・。

「私」の核になっている「魂」と触れ合う場所。果てしない広がりの場所。

平穏で、時間も空間も制限されない場所。人格や記憶も越えて、ただ「在る」という場所。

すべてが一瞬の出来事で、「私が何者であるのか」という本質に立ち返る場所。

私の力の根源。命の根源。物事の根源。

そこからだと、今からこの地球が向おうとしている姿がわかる。そして、それについていく人達がどうあるべきかがわかる。何が大事でそうでないのかが分かる。

自然と湧き上がる感謝と喜び。「ああ、生かされて生きている」が全身全霊で振動する感動を感じる。

すると、「あれ?私はなんでこんな茶番にいちいち反応していたんだろう。私は素晴らしい地球のビジョンを描き、そうなることを知っている」と、魂の自分としてきっぱりと思いを宣言できるでしょう。

そう、あの時と同じ・・・そうだ、この場所に生まれてくる前に、私は同じように思った。

この世界が素晴らしい世界になるための手伝いをしたいと誓った。

それは、このカオスな世界の中で、内なる平和を遵守し、思い出し、その波動でいっぱいにする。それが、この世界の波動を上げる最も強力な方法だと知っていた。

見える物事に惑わされてはいけない。見えない物事にも注意を払い、見えないものの中から「守るべきもの」を大事にするのだ・・・と。

 

こんな波動の世界に入っても、きっと私は「私の素晴らしさ、偉大さ」を思い出して成すべきことを成すのだと、自分に誓った・・・。

 

どうでしょう?あなたもそうではないですか?

 

世の中が平和だから自分が平和になるのではない。

自分が平和だから、その結果として世の中が平和になるのだということ。

波動の法則からしても、そうでないとおかしい。

今抱えている様々な3次元的問題・・・ちょっと降ろしましょう。

その不安や焦り・・・ちょっと脇に置きましょう。

そして、自分の中に平和を見出しましょう。

それが、結果として自分の現実に現れるのだから。

 

先日、ユリの花を買いました。つぼみが5つほど。

無事に開いてくれるかなと「楽しみにしてるよ」と声掛けしながら水換えなどをした。

昨日、立派に咲いてくれました。すごく嬉しかった。そして、何かユリも嬉しそうに見えた。

なぜか、涙が出て来た。

なんだ・・・

ちゃんと神様は生きているじゃないか・・・・生かしてくれているじゃないか、

こんなにも小さい命にも、自分にも、喜びを与えてくれる・・・生かしてくれる。

 

世界が平和でありますようにと、また思えたことに感謝した。