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「動物の気持ちを理解できる」は当然とした上で、「ご家族」と「家の子」
双方のカウンセラー的存在としてセッションを行います。
どちらかの言い分に偏るのではなく、双方のお気持ちや意見・言い分
をお聞きしながら、双方がお互いに歩み寄れる場所を探し、手打ち
ができる場所に導き、その後、皆で仲良く幸せに暮らして頂ける様に、
お手伝いさせて頂きます。
折角のご縁、どうか心を開いてお話ししてくださいね。心を込めたセッ
ションをさせて頂きます。
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先日、最後の痛み止め処方薬を服用したのですが、それから2.3日、右半身の痛みが楽になっている事に気づきました。
どのくらい楽かと言うと、100%の痛みが49%まで下がった感じかな?。
流石に痛みは無くなりはしませんが、1回服用しただけで、2.3日もあの激痛から逃れられた効果に驚きました。流石処方薬!。市販の痛み止めとは違うな。
しかし、在庫がもうない。。再び痛みが増すのは確定だろう中、行きたくない診察を受けるべきか、今までの様に市販薬でごまかすか。。悩む。。。。
そして現在は80%の痛みに戻ったのだが、天気が悪い為、頭痛が続いている。
動物対話士の認定試験に合格したのは数年前です。
当初は仕事を続けたまま、週末や夜に、動物対話士としての活動をしていきたいと思っていました。
そんな中、家族の入院からの完全自宅介護や・自分の体調不良からの休職・・からの退職等、激動のような日々が重なりました。
当時の私の精神状態は・・・。良く乗り切ったなと褒めてあげたい位です。
完全介護になった後、毎日、時間を置いて数回、家族の対応で色々な方が自宅に来てくださりました。
その度に私も、薬やタオル・その他必要なものを揃えたり等、皆さんを迎える事前準備(対応をしてくださる為の用意)を色々としていました。
時には、本疾病以外に、怪我や色々な症状が出てきたりもして、その度にそれに向けての準備等、細かい作業が増えたりします。
皆さんの対応後は、その度に、使ったタオルや着替え等の洗濯物や後片付けもあり、そんな細かい事にも時間がかかったりしていました。
自宅介護では、家族の体調維持の為の「道具・装置」等も必要になります。
それらの、準備や使用方法の確認・洗浄等、細かい事も発生します。
間違った使い方をしたら、家族の命にかかわる事態にもなります。
本来の大雑把な性格と、たまに出て来る神経質な性格。
ここでは日々、そんな私の2方向の性格が綱引きをしていました。
夕方までの皆さんの対応が全て終わった後、以降は私一人で家族と向き合います。
昼間は皆さんがしてくださった対応、夜は私が一人でする番です。
家族の体調も、数時間で変化する事、悪化する事も珍しくありませんでした。
だから何度も様子を見に行ったり、それこそ、息をしているか?の確認は、自然と癖になっていきました。
胸が動いているのを確認し安心する・・・それが当然・・・息をしているのが当然の・・・・日々でした。
この頃の私は、常にドーパミンが上昇しているような・・そんな気でいました。
毎日、不安で、怖くて、心細くて。
でも、そんな気持ちは段々当たり前になり、段々慣れて行きました。
それが当たり前・・・と思うようになっては行きましたが、肉体的には勿論、実際、精神的にも、辛く気が休まらない、今思うとかなり特殊だと思う日々でした。
当時は自分の時間は無かった・・・。
と言うか、不器用なため、自分の時間を作ることが難しかったと言えます。
家族を寝かしつけた深夜、午前0時、そこから朝の対応の準備を始める8時までが、自分の事をする自由時間でした。
勿論この「自由時間」には、「自分の睡眠時間」も含んでいます。
何にも楽しいことが出来ない日々は、精神的にもよろしくないのは分かっている。
だから自由時間は、少し無理をしても、、、睡眠時間を削っても、自分が楽しいと思える事をするようにしました。
と言っても、以前の様に好きな目的のために出歩くことは出来ず、TVを観たりネットでお気に入りの動画を観たり、出来る事は限られていました。
それでもそんな時間は、とても楽しく過ごせていました。
当時の睡眠時間は、平均して4時間ほどでした。
そこに動画を観ていて時間が過ぎて行き、気づけば朝で、寝る時間が無い。。
なんていう事も度々起こりましたが、それでもその時は観たかった・必要でした。
一週間の平均睡眠時間が、3時間・2時間となる事も多々あり、3日間一睡もして居ない・・・と言う事も、正直ちょくちょくありました。
当時はそれが出来ちゃいました。
そんなに寝ていない訳が無い。大袈裟に言いすぎだ・・と思うかも知れません。
周りの方にも「寝てなくて大丈夫?」と心配して頂いていました。
「例えば、好きな事に集中していると、寝ずに居られると言うでしょ?。それと同じかも・・」と冗談交じりに答えていました。
きっと、それが出来てしまうのが、ドーパミンのなせる業だったのでしょう。
勿論、眠気は当然ありました。身体の痛みも抱えて居ました。
でも、ドーパミンはそれらを、意識の脇に置いていました。
眠くても、痛くても、「眠い・痛い」と冗談交じりに笑話にしているだけでした。
当時の私は、そんな生活が「大変」とは思いましたが、「嫌だ・逃れたい」とは思いませんでした。
「今の自分の存在が、少なくとも家族には必要とされている」と言うような、充実感?・満足感?・と言うようなものを感じていた様に思います。
それよりなにより、家族を「介護施設に入れる」と言う考えは0でした。
家族が退院する前、担当医師にも「自宅で介護は無理」と言われました。
でも私は「退院後は当然家に連れて帰るし、施設なんて全く考えていない」と、介護施設の話をする方の話を、全く聞いていませんでした。
「私は家族の介護100%を、自分以外に委ねる覚悟が出来なかった」
でも反対に、
「家族を自宅で介護する覚悟はしました。」それだけの事です。
・・・唯、皆さんに助けて頂けた上で成り立った「覚悟」ですが・・。
私が「家族を家に連れて帰る」と言った時、「それなら、私たちもそれに向けて、全力で支えて全力でお手伝いします」と言ってくださった訪問看護師さんの言葉。
どれだけ感謝して、どれだけ頼りになって、どれだけ救われたか・・・。
そんな日々だったので、動物対話士として公に活動することも出来ませんでした。
友人や知り合いの紹介などで、たまにセッションのご依頼を頂きましたが、そんな日々の中、日時を確定することも難しく、お待ち頂く事も良くありました。
当初思っていたような、動物対話士としての活動は、到底無理な状態でした。
動物対話士としてより、家族と向き合う方が重要だと考えました。
と言うか、私の何よりの優先順位・大切な事・今自分がしたい事、自分がするべき事・・が、家族の介護でした。
なので数年間、「真正面からどっぷり命と向き合う時間」を過ごしました。
過去、一緒に暮らした2モフ仔が居ます。私には姉妹の様な存在でした。
晩年は其々体調も下降し、其々数年間闘病生活でした。
その過程で、彼らの苦しみ・彼らの姿、モフ仔に寄り添う自分や家族の想い、段々下降していくモフ仔の命、命が尽きると言う事・・・それらを経験しました。
家で一緒に暮らしていた命が、明日からこの家に居なくなる・・・と言う経験。
彼らが、私に・家族に、その経験を与えてくれくれました。
命が消える時に向かって行く姿と、それを側で見守る想い。
当時は、家族と一緒にそんな数年間の日々を過ごしました。
勿論当時も、家族も私も、睡眠時間は段々減っていきました。
長くなりましたので話を分けます。
ショートスリーパーと明晰夢を見る事・・・
これは、何か関係や意味があるのかな?・・・
なんて思う今日この頃です。
くおんは、とても難しくて厳しくて一杯凹んで涙して苦労して、その結果
一般社団法人動物対話協会の資格試験に合格し,動物対話士になりました
無資格で動物対話士を名乗ることは商法により禁じられております。
名乗りたければ貴方もあの恐怖の時間を経験して仲間になろうw
多くの方に知って頂きたいため、ランキングに参加しています。
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