下地島への自衛隊誘致に自衛隊がツレない訳 | 数多久遠のブログ シミュレーション小説と防衛雑感

下地島への自衛隊誘致に自衛隊がツレない訳

下地島空港がある宮古島市の市長が変わり、新市長が自衛隊誘致を排除しない考えでもあることから、以前に盛り上がりながら頓挫した自衛隊誘致が再び脚光を浴びる可能性も出てきました。


そこで今回は、以前にあった自衛隊誘致の動きに対して、防衛省・自衛隊側の反応が悪かった理由について書いてみます。


まず最初に、以前に起った自衛隊誘致活動についておさらいしてみます。(by wiki)
2001年(平成13年)4月18日 - 伊良部町議会が空港への自衛隊訓練誘致を満場一致で決議。防衛庁は「前向きに検討」とした。
2005年(平成17年)3月16日 - 伊良部町議会で空港への自衛隊誘致を賛成9反対8で決議。住民説明会で反対意見が続出。
3月25日 - 伊良部町臨時議会で16日の自衛隊誘致決議と平成13年の自衛隊訓練誘致決議の白紙撤回を賛成16反対1で決議。


これを見ただけで、感の良い方は理由が分かったかもしれません。
2001年と2005年の誘致決議は、微妙に違います。それは、2001年の決議では「訓練」の文字が入っていることです。


では「訓練誘致」とは、どういうものでしょうか。
自衛隊の戦闘機が実施する訓練飛行は、基本的には発進した基地に戻ります。機種や訓練内容により飛行時間は変わりますが、もともと旅客機のような長時間飛行をするようには作られていないため、通常の飛行時間は数時間です。自ずと、1機の戦闘機が1日に数回の離発着することになります。
また、タッチアンドゴー(着陸と同様に接地しながら、停止せずそのまま離陸する訓練)を含む離着陸訓練も実施されます。
「訓練誘致」とは、部隊の恒常的な配備ではなく、1日あるいは数日の間だけ、下地島空港に展開し、これらの訓練飛行に伴う離発着を下地島空港で行うというものなのです。

2001年の伊良部町議会の決議は、訓練によって空港使用料が空港側に入り、それによる税収が期待できる他、燃料の購入なども発生するため、町が潤うことを期待したものでした。
また、この「訓練誘致」が行われると、那覇空港では自衛隊機による離発着回数が減るため、過密が問題となっている那覇空港に余力がでることもあり、観光の振興にもプラスになるという意見もありました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-111291-storytopic-86.html


しかし、自衛隊にとっては、この「訓練誘致」は多大なコスト増につながる上、離島防衛への寄与が少ない他、アラート待機は那覇で行うことから、対領空侵犯措置の実効性向上には繋がらないなど、うまみの少ないものでした。

特に、コスト面での問題は非常に重要です。
自衛隊機が下地島で訓練を行うためには、パイロットと機体が飛んで行けば、それで訓練が可能になるわけではありません。
燃料給油など、飛行に必須の作業を行う列線整備員や彼らの使う機材は欠かせませんし、故障は必ず発生するため、ある程度の整備機能も必要です。
民間機では必要のない地上拘束装置(バリア)などの空港設備も必要になります。


訓練誘致が決議された当時、伊良部町長は「(町の要請は)最低でも訓練誘致であり、基地化は理想的だ。できれば常駐させてほしい」と発言するなど、訓練誘致の先には恒常的な部隊展開が念頭にあったようですが、表向きは訓練だけの誘致でした。
2005年の決議は、訓練誘致に留まらず、恒久的な部隊展開の誘致活動でしたが、わずか10日ほどで白紙撤回されています。


自衛隊にとって、本当にうまみのある誘致は「訓練誘致」ではありません。訓練誘致では自衛隊側がノリ気にならないことは、2005年までに宮古島の方々も承知しているでしょう。
自衛隊誘致を排除しない考えを示している下地宮古島市新市長(ややこしい名前だ)が、今後どのような姿勢でこの問題に当たるのか、注視して行きたいと思います。