2年ぶりに友人と夕食を食べにいった。
彼女は、私が会社に入って3年目とき、出向という形で1年間、チームは違っていたけど、
私と年齢も近かったこともあってフロアーなので会うとよく話していた。
彼女は、すでに結婚していたので出向の1年がくるまえに赤ちゃんが出来て会社を退職した。
それから数年、
気がつけば、家もご近所さん。
子どもの学年も一緒のこともあり、お付き合いはそれからずっとあるけど、
結局子どもが通っている学校が別々になってあまりここ数年は、メールや電話の簡単なやりとりでじっくり話すことがなかった。
久しぶりに会った彼女は、何にも変わってなくて3時間ほど、話こんでそろそろ帰ろうかとなったとき
彼女自身、今年の3月に生死をさ迷う大手術をうけたこと、
5月のあたまに、続けて両親が亡くなったこと、
ここ半年大変だったことを話してくれた。
正直、何て言えばいいかわからなくて、
「どーして言ってくれんの?さみしいやなぃ?お見舞にも行けんかった。」
と、すねたように言ったら
友人が
「本当に友達やと思ってるから言わなかったんよ。会って弱音とかはいたら、張ってるものがキレてそのままつぶれそうやん。元気になって、いっぱいできたネタ、○○(私)にしゃべらな、と思ってがんばってたん。それで今日になったわ。」
同じようなことが
いつかにもあった。
大学の時に出会った県外にいる大切な友人も、3年会ってないうちに、
ひとりじゃかかえきれないだろう事実を
会ったときに、ポツリと話してくれた。
いつもどおりすねたように私は、言う。
「どーして言ってくれんの?」
言ってくれないことに寂しく思ったり、逆に腹をたてたり……
でも、たぶん。。。
その時言ってくれたとしても
私は、ただその時もっている精一杯のボキャブラリーで、慰めて、励まして、それで、何かできてたのかな。。。
3年ぶりに会った友人は、わたしに言わないことが最後の砦みたいなものだったと言ってくれた。
おととい会った大切な友人は、
「一人で闘ったごほうびみたいなもんよ、○○(私)と話すのは、ねー。すごい、すごいってそればっかりいってわたしを誉めてくれるし(笑)。」
(私をほめているのか、ばかにしてんのか)
「すごい」っていう言葉をつかうと、上司には、いつも指摘される。
言葉を扱うものとしてすごいってことばを動詞のように使うのは、いかがなものかと。
でも、やっぱり
私の大切な友人ふたりは、『すごい』と思う。
私は、すぐに「つらい」だの「痛い」だの口に出しては、友人を困らせてはいないかな。
彼女たちも
きっと、「つらい」と私に言おうと電話かけたい衝動にかられた日も、あっただろう。
落ち込んだ背中をさすってあげたかったけど、
彼女たちにとって私が一番最後に頼る場所だとすれば、
「つらい」
なんて私に言ってこないほうがいいな。
彼女たちを苦しめるそんな出来事が、
この先もずっと
このままなければいい。
私の大切な友人は、何年も会わなくったて
やっぱりすごいと、尊敬できるなって、改めて思った週末でした。
ヨシ!今週は、頑張ります!
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金曜日、七夕でしたね。
今年もうっすらの雨。
なかなか会えないよねー。彦星と乙姫。
今年の願いごと。

これだ!
(ちび王子の願いごと。知る人ぞ知る…………一昨年から変わらず……でした。(笑))