「日本酒蔵」と聞くと、どういうイメージがありますか?

人によって多少の違いがあるものの「日本の伝統文化、歴史をつないできた建物」という認識は同じではないでしょうか?

東日本大震災後、新聞、メディアを通して被災地の日本酒が注目を浴びる中、
私は「日本酒蔵は地域のシンボル」であることを再認識させられました。

私自身は初回原稿で触れたように日本酒の普及活動をしていますが、その中でも日本酒蔵訪問に力を入れ、継続しています。

何故、日本酒蔵を訪れるのか?

もちろん実際の酒造りの現場に触れ、造りの工程を学んだり、
蔵人さんの話しを伺ったりというのが第一の目的にありますが、
それ以上に「蔵」という空間が好きなのです。

一歩蔵に足を踏み入れると鼻腔をくすぐる柔らかな米の香り。
どこか懐かしく優しい木造や土蔵の匂い。
そして、ひんやりと張りつめた空気と神秘的な佇まい。

そのいずれにも、私の“日本人としてのDNA”が騒ぐのです。


東日本大震災では、ここ宮城を中心に多くの蔵が被災しました。


「乾坤一」を醸す宮城県村田町にある大沼酒造店も、
沿岸部からは遠い内陸部にありながら、その被害は甚大でした。


 
創業1712年(正徳2年)、300年続く蔵           崩れ落ちた蔵の壁"

 
「危険」を知らせる赤紙が痛々しい                  タンク室の天井が落ち一部の醪(もろみ)は廃棄に




 
外から見た様子。壁の一部が崩壊している      次期蔵元の久我健さん


創業1712年(正徳2年)。
300年続く蔵は地震により大きな爪痕を残し、現在12月初旬から始まる酒造りに向け、急ピッチで修復工事を進めています。
大沼酒造店だけではありません。
宮城県内のいずれの日本酒蔵も被害を受けており、蔵自体が倒壊してしまい、新たな場所に移ることを余儀なくされた所もあります。

今や全国どこに行っても、大規模チェーンストアや郊外型量販店が立ち並び、地域としての独自性や個性が薄れつつありますが、酒蔵がある町には、その町の古きよき文化や伝統の香りが凝縮されています。
復興、そして地域再生が急がれる中、町のシンボルである「蔵」が果たす役割は非常に大きいと感じます。

神事から始まり、一般庶民の生活に寄り添って来た日本酒は、地域の顔であり、その象徴。
まさに“その土地のアイデンティティ”にほかなりません。

震災から8ヶ月。
ここ被災地では、長い長い復興の歩みが緒に就いたばかりです。
量は沢山作れないけれど、質の良い日本酒を目指しながら、酒造りと寡黙に格闘する地域の日本酒蔵を応援してください。

銘柄を知って手に取ってもらうことは、復興への大きな励みにもつながります。
そんな背筋の一本通った、地域の日本酒を応援してください。
(仙台市・「食」のプランナー 早坂久美)