先日筆者は造船の街である広島県呉市へ訪れた。筆者自身思春期の3年間を過ごし、戦中には筆者の遠縁親戚も過ごした思い入れ深い街だ。
久しぶりに訪れた呉駅で筆者は、「大和ミュージアム(呉市海事科学歴史館)」の盛況ぶりに驚かされた。
ミュージアムへ向かう親子連れで行列ができ、呉駅付近の県道はパーキング待ちで渋滞する有様。2005年4月にオープン以来今年で開館11年目を迎え、来館者は既に950万人近いそうだ。地方の都市が運営する博物館としては驚異的な数字である。
「大和」の人気・集客力でミュージアム周辺ショッピングモールは大変な賑わいで、市への経済効果は大変な数字だ。
筆者が驚いたことの一番は、老朽化していた呉市役所は、2013年に立派な新庁舎になっており「大和」人気効果なのか調べたところ、新庁舎のモチーフはまさに「大和」にした詳細が建築会社のHPにも綴られている。
今週末11月12日には、呉市が舞台の劇場アニメ「この世界の片隅に」が公開される。これも「大和」効果なのだろうか?
30代の筆者から見ると、「大和」は巨費の建造費用をかけて建造した旧世代の「大艦巨砲主義」の象徴のような存在で、あまり魅力や興味は感じないのだ。「TOP・GUN」の空母や「クリムゾンタイド」の原子力潜水戦艦アラバマなど、ハリウッド映画に出てくる米軍近代兵器に惹かれてしまう。
沈没から70年近く経って今なお、なぜこんなにも「大和」は人気があるのだろうか?実は筆者の呉で数年過ごした遠縁の親戚は「大和」の設計に僅かながら携わっており、どうしても自分の目で観て触れたかったのだ。
「大和」には設計の他にも、人の心惹かれる何かがあるのかどうかを確かめるために「大和ミュージアム」に足を踏み入れてきた。
チケット売り場の長い行列を待って、館内に入ると最初に目に入るのは、巨大な10分の1戦艦「大和」模型。
模型といっても26・3mとクルーザーなみの大きさ。どれだけ巨大な艦船だったのか、スケール感に圧倒される。館内の大半をこの模型が占めていて、他は「大和」を建造した造船技術と、呉市の歴史を学べる。
館内の展示でわかったことは、「大和」は決して時代遅れの戦艦ではなく、当時の日本が持っていた技術力、知識、資源を結集し建造された当時最新のハイテク戦艦という事実だ。
史上最大の46cm主砲3基9門を備え、標的までの距離を計測する15メートル測距儀、敵艦の速力、針路、弾道、風向、風速など様々なデータを入力計算し、その結果を各砲に指示する砲戦指揮装置(コンピューターの元祖)を搭載していた。
この測距儀、砲戦指揮装置は、どちらもニコン(日本光学)製である。
そして、史上最大の排水量なのに、驚異といえる速力27ノットを出せる。これは最新技術の球状艦首(バルバス・バウ)を採用した効果によるものだ。運動性も良好で超巨大な船体にもかかわらず小回りが利き、全速力で航行中に「回れ右」をする際も、必要な移動距離は全長の3倍以下(640メートル)で、ほとんど船体を揺らすことなくUターンできてしまう。
あまりに巨大なために、13階建ての艦橋にはエレベーター(三菱製)が通っており、各砲塔に砲弾を運ぶためのミニ電車(日本初の電車)が艦内を走っている。
居住区も広く、それまでの軍艦の乗組員はハンモックを使用していたが、「大和」ではベッドを使用。
さらに冷暖房完備、冷蔵庫(東芝製)を利用し備蓄食糧も豊富。さらに驚くのはアイスクリーム製造室まで装備されていた。
厨房に関しては割烹やレストランで働いていた板前やシェフを配属し、記録に残る将官用の接待メニューは「黒塗りのお膳に鯛の塩焼き、鯛の刺身、冷えたビール」という軍艦とは思えない豪華な内容であった。
生活区では大型の洗濯機も備わっており、これも専門クリーニング屋が作業を行っていた。
故に、この豪華な巨大戦艦大和は「大和ホテル」と関係者から呼ばれていたのである。
凄いことに、これだけの巨大戦艦をブロック工法を採用して、建造期間の短縮、作業の高効率化を果たしている。その完成までには、のべ300万人という膨大な人手が必要としたが、徹底した機密工作により日本国民のほとんどは終戦まで「大和」の存在を知らないままだった。
筆者はこの詳細を10代の頃、齢80のその親戚から色々と聞いた記憶がある。
「大和が出航するときはのう、軍港を見下ろせる土地には憲兵が見張りに立っとった」
「呉線から建造作業が見えんように大きな板塀が作られとったんじゃ」
と、言っていたことを思えている。
見学を終えて「大和」の人気・人々が心惹かれる要素は3つあるように感じた。
1、「悲劇的な最期」2、「象徴的な艦名」3、「世界最高の技術」である。
1、「悲劇的な最期」
最強の力を持ちながら、無念に沈んだ悲劇的な最期が、源義経や真田幸村などと重なり、日本人の判官贔屓の心情にマッチする。
2、「象徴的な艦名」
旧日本海軍で戦艦は原則として旧国名をつけるのだ。例えば大和、武蔵、陸奥、長門などだ。大和は今の奈良地方だが、同時に日本国の総称なので、「日本=大和」と、誰もが親しみを感じる艦名であることは大きい。同型艦の「武蔵」が今一つマイナーなのは艦名もあるのかもしれない。
3、「世界最高の技術」
呉の呉海軍工廠は甚大な戦災を受けたが、終戦の翌年にはアメリカの船会社が買収して造船を再開する。世界一のハイテク戦艦大和を建造した日本の造船力の技術をアメリカは欲っし世界一と認めざるを得なかったのだ。大和に携わった技術陣の多くは戦後、同様に活躍の場を民間に移し、戦後高度経済成長期の巨大タンカー建造などに、その技術を存分に発揮。日本の造船業は驚異的に復興し、昭和31年に日本の造船量は世界一となった。今でも殆どのタンカーの船首には、「大和」のバルバス・バウが存在するのは象徴的である。「大和」をつくった日本の技術力は今も生きているのだ。
筆者は以前に書いた「ゼロ戦」特攻機「桜花」の技術が、「新幹線」を生み出したことを思い出した。http://www.excite.co.jp/News/world_g/20150627/Mediagong_10404.html
館内に、近日公開の劇場アニメ「この世界の片隅に」のポスターが貼られていた。
戦時下の呉を舞台にした作品で、2パターンあるポスターの一つは軍艦が大きく描かれてる。優しいタッチの絵柄で描かれた軍艦は呉の風景にとても溶け込んで見えた。
この作品の原作者こうの史代さんは呉の方で、「嘘は描けない」と、アニメ-ション映画を作るにあたり戦時中の呉市を徹底的にリサーチし、「大和ミュージアム」の資料も図面まで丹念に調べ、当時軍港に在籍した艦船の行動まで特定して描写とのことだ。
筆者は今から映画公開が待ち遠しい。
大和ミュージアムから出ると、港にある自衛艦の艦影が目に入った。呉市民と艦船の関係は、日常風景であり、「大和ミュージアム」はその象徴として、ごく自然に愛着とともにこの街の誇りであるように感じ、嬉しかった。

