これまで述べてきたような説明を求める行為について、例を挙げます。
バナナはなぜ黄色いのか?という質問をする人はほとんどいないように思われます。強いて答えるなら、バナナに含まれる色素がどうのこうのと、そういった説明はなしうるかと思います。(文化によっては黄色とは限らないようですがここでは措いておきます)
しかしながら、はっきりとした事実は、
バナナは黄色である、というあるがままの事実です。
あたりまえのことであって、質問する人や、追求する人、あるいは、そういったものに関して、哲学的な考察をして、さらには
「バナナはなぜ黄色いのか」ということで悩み苦しみ、ノイローゼになる、しまいには自殺するなどという人はいないように思えます。
その一方で、人はなぜ生きるのか?なぜ死ぬのか?ということについては、有史以来、さまざまな説明や哲学的解釈、あるいはそれらに基づく、膨大な文献、資料、宗教書、小説・・・そういったものが存在してきました。
ブッダは、正しく宇宙の諸現象を見なさいと言いました。
我々は、バナナは黄色である、夏は暑いのは当たり前だ…それらと同じように、人間は死ぬのが当たり前だ、ということを、ありのまま受け入れて死ねばよいのです。
これが、ブッダの教えではないでしょうか。