「磁石はなぜくっつくのか」ということに関して、たいていの小学校の理科の教科書には、


「磁石にはN極とS極があって、その間を磁力線が結ばれているから」


というふうに説明されています。



 しかし、これは、もともと宇宙に存在する物理現象を、言葉を用いて後付けの説明をしているにすぎません。


それを例えて言うならば、なぜ頭がはげるのかという質問に対し、それは、頭の髪の毛がなくなってしまうからだ、はげるということは、髪の毛がなくなることである~と答えることとまったく変わりはないわけです。



つまり、人間は言葉というものを創り出したから、言葉による概念が存在する、言葉による説明が存在する、そのことだけで納得する、安心するという性質があるわけです。

ですから、説明がないとか、解釈がないという不安に、耐えられないわけです。



円周率がなぜ無理数なのかということを質問する人がいても、なぜバナナの色は黄色いのかとか、なぜ空は青いのかといった質問する人はあまりいないようです。

これらの様々な問いについて、もし仮に宇宙のどこかに、人間とはまったく違う高度な文明や科学理論をもった宇宙人がいれば、いろいろな説明について、人間とはまったく異なった説明や納得というものが存在するかもしれません。



さて、人間の最大の疑問は、なぜ人間は生まれてきたのか、なぜ生きているのか、そして、なぜ死ぬのかということに尽きるでしょう。先ほど述べたように、その理由がないということ自体が、人間の不安をあおるわけです。


そこで、すべてを一つ一つ解明する、あるいは説明・納得するのではなく、森羅万象を説明する方法は、もちろん、「絶対者」を作り上げ、すべてはその「絶対者」が決めたことにするわけです。それによって、もう、ありとあらゆるすべての現象が、完璧に説明でき、完璧に納得できるわけです。


これが、宗教の起こった原因の一つではないでしょうか。



一方、ブッダという人間は、人は必ず死ぬものである、このことは真理であると、初期仏典で何度も、繰り返し言っています。


そこで、仏教というのは何かネガティブな、あるいは厭世的な、ペシミスティックな教えととらえてしまいがちです。


しかし、初期仏典をよくよく読んでみれば、人間は必ず死ぬというのは、宇宙の真理であり、絶対的な事実である、だからこそ、今を大切に生きなさい、という教えであるということが分かると思います。



ところが、なぜ人間は死ぬのかということについて、ブッダは、まったく説明していないように思われます。


実際、それは運命だから、あるいは「絶対者」が決めたからだ、といった形の説明はしていません。


この点、ブッダの知恵は、宗教とはかなり異なるものだと思われます。