自然科学から社会科学、さまざまな宇宙の諸現象において、何々はなぜそうなのだというふうに聞く場合は、そこに、


1.相手 と、 2.納得する理由 


の二つが必要なわけです。


 その「相手」というのは、時代によっても違いますし、子どもと大人によっても違いますし、人によって様々な立場があると思われます。

 

 したがって、なぜかという質問に対して答えるということには、常に、人間中心のバイアス(ひずみ)が入ってくるわけです。



 生物学で「本能」という便利な言葉がありますが、生物学者によっては、本能という言葉を使うのは学問的ではないという方もいらっしゃるようです。

 なぜならば、すべて本能という言葉を使ってしまえば、とりあえず説明でき、それで納得する人がいるかもしれないからです。



 人はなぜ争うのか?

 

 それは、闘争本能があるからだ、ということになるわけです。



 また、生物学においても「進化」という言葉は、非常に難しく、さまざまな解釈があります。


 「キリンの首はなぜ長いのか」という疑問について考えてみましょう。


 これについて、ある昔の学者は、「適者生存」という考え方を唱えました。要するに、より環境に適したもの、より強いものが生き延びる、という考えですが、その説によればこうなるようです。


 キリンの首が長いのは、高い木の上にある葉っぱを食べようとして、首が長くなったという、目的とか、意図をもってなったのではない。

 首の短いキリンと、首の長いキリンと、さまざまなキリンが以前はいた。

 その中でも、木の高い枝にある葉っぱを食べるキリンだけが生き延びたのだ。


という考えになるわけです。



 このように、生物学においては、生物が目的をもって行動するという考えを取らない立場の人もいるわけです。



 しかしそれではおかしいわけであって、先ほどの、キリンは高い木の葉っぱを食べるから、飢え死にしなくて生き延びられたというのであれば、木の葉っぱを食べる動物はすべて首が長くなければならないということになってしまいます。



 さらに、「環境に適した」というのは、いったいどういうことなのでしょうか?


 それもやはり、人間が人間自らの視点で見た、勝手な思い込みなわけです。



 ある意味、もっとも地球や宇宙の環境に適していないものが、自然の摂理に逆らって、無理やり繁殖した生物が人間であると考えることができるかもしれません。